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桜の花びら

新学期の朝。
アイゼルは制服のリボンを、几帳面に形よく整えた。
鏡から目をはずして、ちらりと壁時計に視線を流す。あと2分で8時。
大丈夫。あとは仕上げだけ。
落ち着いた手つきで小さなポーチからリップクリームを取り出し、丁寧に唇をなぞった。
ふわっといちごの香りが広がり、ふっくらした唇がピンクに輝く。
はい、できあがり。
アイゼルは鏡に向かってにこっと笑いかけた。
「アーイゼルーう!学校にい〜こ〜お〜っ!」
その時、聞きなれたばかでかい声が耳を貫く。
「またっ・・・!」
犯人はわかっている。
アイゼルは二階の窓から身を乗り出し、路上に立っている人物を睨みつけた。
「エリー!朝からそうやって大声で呼ぶの、よしなさいって言ってるでしょう!小学生じゃないんだから!」
「だってええ、アイゼル遅いんだもん」
「充分に間に合う時間じゃないの!まったく・・・すぐ行くわよ!」
学年が進んでも、エリーはちっとも変わらない。
「もう・・・年を重ねてる自覚はあるのかしら」
アイゼルはポーチを学生カバンに入れて留め金をかけ、部屋を飛び出した。

・・・小学生の時には憧れてたっけ。
「学校に行こう」と誘いに来る友達。連れ立って歩く道。
あなたが初めてだったの、エリー。だからちょっとだけ、感謝してる。
でも、そろそろ大人にならなきゃね。
「エリー、また寝癖がついてるわよ」
「えっ、うそ!」
「うちに来る前に、もう少し鏡を見る時間を取ったら?女の子なんだから」
アイゼルはカバンから携帯用のムースを出して少し手にとり、エリーの髪を撫でつけた。
「アイゼルは、女の子だねえ」
「あなたは無頓着すぎるのよ。恋でもすれば少しは変わるんでしょうけれど」
「アイゼルは、恋してるの?」
「えっ・・・それは・・・」
頬が熱くなった。・・・駄目駄目、平静に平静に。
「この年で初恋もまだっていうほうが、おかしいんじゃないかしら」
我ながら、上手い切り返し。しかしエリーは思った方向にそれてはくれなかった。
「ふーん、そっかあ。アイゼルはもう、好きな人いるんだー。・・・ね、誰誰?」
興味津々の色を瞳に浮かべて、こちらをのぞき込んでくる。
見込み違いだったわ。この手の話題には、全く関心がないと思っていたのに。
「そ、そんなのどうだって・・」

キッ、というブレーキの音がアイゼルの言葉をさえぎった。
「やあ、二人ともおはよう!」
背後から突然、耳が最も慕うさわやかな声。その瞬間、アイゼルは、心臓がのどから飛び出すんじゃないかと本気で考えた。
「あ。おはようノルディス。いい天気だね!」
のほほんとしたエリーの声が遠くに聞こえてしまうほど、自分の心臓の音がうるさい。
こ・・・このタイミングでふいうちなんて卑怯よ!ただでさえ久しぶりで、会えば舞い上がるのは目に見えていたのに。
「あのね今ね、アイゼルの好・・・」
「ちょっとエリー何を言ってるのこのお馬鹿さん!!ノ・・・お、男の子にする話じゃないでしょう!!」
「えー、そうかなあ。ノルディスでもだめ?おんなじ科学研究部の、友達じゃない」
なんっっって鈍い子なの!わたしが好きなのはその、ノルディスなのよ!
・・・と、怒鳴ってしまえたらどんなに気持ちがいいだろう。
熱くてたまらない。嫌だわ、せっかく久しぶりに会うから気合入れておしゃれしたのに、顔が真っ赤じゃ台無しじゃないの!
「だめだよエリー、アイゼルが困ってるよ。それに僕も困るよ、ふつう男の子が聞かないような話聞かされても」
ノルディスをちらりと見ると、彼も自転車にまたがったまま、所在なさそうなそぶりで顔を赤らめている。何を想像したんだろう。

とにかく、この空気を変えるのよ!きりっとさわやかな笑顔で、知的な話題を!
・・・でも、ああ駄目だ、きっと今のわたし、いやらしくにたにた笑ってる。だって、目が確認してしまうんですもの。あなたの姿は、わたしを幸せにしてしまう。
やっぱり、やっぱり、やっぱり、大好き。ほかのむさくるしいクラスメートと違って、いつもさわやかだし、知性に溢れてて礼儀正しいし、優しいし・・・
「ねえ、アイゼル。・・・アイゼル?」

はっ。
エリーの声で我に返る。あんまり久々なものだから、つい恋心が暴走してしまったらしい。
「こっち向いてよ。怒ってるの?ごめんね」
エリーの情けない顔を見ているうちに、やっと自分が戻ってきた。
「別に、怒っている訳じゃないわ。馬鹿ね、そんな泣きそうな声だすほどのことじゃないでしょう」
なんの気負いもなく慕ってくるエリーは、友達としてとてもかわいい。
そういうところが好きだけど、同時に嫉妬も感じる。
わたしも、こんな風に、素直に好意を示せる女の子だったら・・・。
ふと、ノルディスを見る。
ノルディスは、どう思っているんだろう。
知りたい。その目の奥の奥を、のぞければいいのに。
アイゼルは頭をふった。それは、現実的でない思考。ムダな願望よ。

「でも、うれしいね!今年はみんな、おんなじクラスだよ!」
エリーはちょっとはしゃいで言った。
そう、登校日のクラス替えは、これまでで一番緊張した。
これまでで一番、強い願いがあったから。そしてそれは、ムダな願望ではなかった。
「うん、よかったよね。僕、アイゼルと一緒のクラスになるのは初めてだよ」
「そういえば、そうよね。部活では毎日顔を合わせていたけれど」
穏やかな口調とは裏腹に、心では花が咲き狂っている。今日からは、ノルディスと同じクラス!なのだ。
「ね、お祝いしようよ!今日の帰り、3人でお花見しよっ!うちの近くの公園の桜、きれいなんだよ〜」
「あなた、いつも唐突ね。別にわたしはかまわないけれど・・・ノルディスは?」
「いいね、行こうよ。僕今年、花見してないんだ」
ノルディスとお花見!
いい提案だわ、エリー。誉めてあげる。
桜の下にたたずむノルディス。・・・・・・・素敵に決まってるじゃない!


放課後訪れた公園は、ブランコとシーソーだけの質素な公園だったが、そこに咲き誇る桜は見事なものだった。
満開は過ぎ、散り際というところか。しかし、風が吹くたび舞う花びらに囲まれるのは幻想的で、心洗われる体験だ。
「綺麗・・・」
アイゼルは桜の木に歩み寄り、その幹に手をかけた。桜としては、結構な大木だ。
「わー、アイゼル、桜の国のお姫様みたい」
「エリー・・・何幼稚なこと言ってるのよ」
「だってだってー。ねえ、ノルディスもそう思わない?」
「うん、アイゼルにはピンクが似合うよね」
「・・・ありがとう」
嬉しいけれど、歯切れが良すぎるわ、ノルディス。ここで照れたら、期待しちゃうのにな。
「二人とも、ここでちょっと待ってて。急いでうちに帰って、カメラとお菓子もってくるね!」
そう言って、エリーは跳ねるように駆けて行った。アイゼルはなにげなく見送った後、はっとしてあたりを見回す。

新学期なので、今日はお昼までだった。この時間、子供を遊ばせる人は少ないらしい。
だれもいない・・・。
つまり、ノルディスと二人きり。
ノルディスは脇のほうに自転車を止め、桜の木にもたれかかっているアイゼルの方へ近づいてきた。
「こんなに綺麗だったら、途中でオニギリでも買って、ここでお昼にすれば良かったね」
「そうね」
「アイゼルは今年、お花見したの?」
「いいえ、わたしも今年初めてよ。なんだか余裕がなくて」
「春休みの課題、多かったからね」
ノルディスは、アイゼルの隣にもたれかかった。
その肩に、はらはらと桜の花びらが降りかかる。
アイゼルは、こっそりとため息をついた。
今の時間、このノルディスを独り占めできるなんて。きっと、わたしより幸せな女の子なんて、どこを探したっていない。
桜の花びらは、途切れることなく降り注ぐ。まるで、散り急いでいるかのように。
アイゼルはその中のひとひらを、手のひらで受け止めた。
隣を見ると、ノルディスも手を出して、舞い散る花びらを見上げている。

・・・大好きよ、ノルディス。今はまだ、伝えられないけれど。
アイゼルは、花びらにそっとキスをして、それを脇に抱えているノルディスのカバンに滑り込ませた。
ちょっとした、おまじないのつもりで。
「お待たせ〜!」
顔を上げると、満面笑顔のエリーが駆けてくる。両手にいっぱいのお菓子を抱えて。
「エリーったら・・・あれ、全部食べるつもりかしら?」
「お昼ご飯、いらないね」
アイゼルとノルディスは、顔を見合わせてくすりと笑った。


その日の夜。
ノルディスは机の前に座り、カバンからペンケースを取り出した。
明日から、実力テストだ。
ペンケースを開けようとして、ノルディスの手が止まった。
ペンケースに、桜の花びらがくっついている。
「こんなところにまで入り込んでたのか・・・すごい散り方だったからなあ」
ノルディスはその花びらを手に取った。
「・・・あれ?」
ふわりとただよった香りに、思わず鼻を近づける。
「なんだかこれ、いちごの香りがするなあ」

そのとき。
独り言をつぶやいたノルディスの上唇が偶然、その花弁に触れた・・・かどうかは。
いちごの香りの、桜の花びらだけが知っている。

Fin.


≪あとがき≫
・・・はい、終わりです。いかがでしたでしょうか。
アイゼル、思いっきり乙女チックしてます。思春期暴走!(笑)
最後のシーン、理解できましたか?
・ペンケースにくっついていた花びらは、アイゼルがノルディスのカバンに入れたもの。
・桜の花びらからいちごの香りがしたのは、アイゼルのリップクリームがいちごの香りだから。
というわけで、最後のシーンは
<ノルディスはアイゼルと間接キスしちゃったかも?!>
というシーンなんです。(わあお!)
でも知ってるのは当の桜の花びらだけ、ということにしてお茶を濁しました。
あなたはどちらだと思いますか?
邪道な作品ですが、感想でもいただけると嬉しいです。

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