妖精は、どんな方法を用いるのかは謎だが、
知っている場所へなら驚くべき短時間で移動できる特技を兼ね備えている。
その特技を利用して妖精便というものが組織され、緊急の連絡のために用いられていた。
一般の人は請負人に依頼しないといけないが、妖精を雇うことのできる妖精の腕輪所持者なら、
雇っている妖精に直接頼むことができる。妖精を連れ歩き、旅先からの連絡に使うことも可能だ。
クライスはドアを開けた。
ルイーゼは小さな男の子の姿をした妖精を抱きかかえていた。その服は虹色に光っている。
妖精の中でも最高位の能力を誇る、虹妖精である証だ。
「ピルチェ?」
「クライスおにーちゃん〜」
やはり、これはエリーと共に旅に出たマリーが連れ歩いているはずの、虹妖精らしい。
昨日来たばかりなのだが、大方用件の想像はつく。
しかし、何故だろう。ピルチェはルイーゼの首に腕を回し、ぐしぐしとぐずっていた。
「・・・では、わたしはお店に戻りますね」
ルイーゼはピルチェの頭を撫で、クライスに渡すと、アカデミーの廊下を売店の方へ戻って行った。
「・・・・・・・・・・」
ピルチェを受け取ったクライスは、ドアのところに立ち尽くしていた。
なぜわたしはぐずる虹妖精を抱っこしているのだろう・・・。
「ピルチェ」
「はい、なあに?」
「・・・わたしに届け物ではないのですか」
ピルチェは目に涙を溜めたまま、こくっとうなずいた。もそもそと何かを取り出す。
「これ・・・」
ピルチェは青みがかった小さな石を、クライスの目の前に差し出した。
クライスはそれを見て、少し表情を緩めた。
「わたしが送ったものですね」
やはり、これを早速試してみたというわけか。
クライスはピルチェを床に下ろすと、引き出しから小ぶりの金槌を取り出し、
テーブルに敷いた紙の上にピルチェから受け取った石をのせた。
それから思い直したように、奥の部屋へ入って行くと、
銀色の粉とガラスの容器に入った青い液体を持参して戻ってきた。
次いでゆっくりとした動作で、銀に輝く粉の上に、青く透き通った液体を注ぐ。
指で混ぜ合わせると、すぐにそれは融合して、ふるふるとしたゼリー状の塊になる。
丸くまとめたそれを手のひらにのせ、簡単な発動の呪文を唱えると、塊は自ら淡い光を発した。
それを確認してから、クライスはピルチェのもってきた石を金槌で軽く叩いた。
王室騎士隊員のダグラス・マクレインは、
城門の前に立ってザールブルグの街中へ続く道を眺めながら、大きなあくびをした。
「・・・ねみー・・・」
最近、ザールブルグは平和だ。
それはとてもいいことなのだが、王室騎士隊としては仕事がなくて毎日に張りがない。
「ったく・・・折角のダグラス・マクレイン様の腕が泣いてるぜ」
ダグラスはぐるぐると肩を回した。本当に、騎士隊内での訓練だけでは鈍ってしまいそうだ。
「今やエンデルク様と肩を並べる実力者だって言われてるのによ」
この1年、剣技を磨く上では、我ながらよく頑張ったと思う。
おととしの武闘大会で優勝したのは半分まぐれ勝ちのようなものだった。
しかし、去年の武闘大会では杯を再びエンデルクに明け渡したものの、
大会史に残る名勝負を繰り広げて、その揺るぎない実力を世間に知らしめた。
現在では、エンデルクに並ぶ実力者として、
ダグラス・マクレインの名は近辺でも有名になりつつあるのだ。
「あれからもう1年か・・・」
ダグラスは胸元に手をつっこむと、あたりに誰もいないのを確認して、首から下げられた鎖を引っ張り出した。
その先に、小さなロケットがついている。
旅立ちの日、エリーが「ダグラスは忘れんぼだから」と笑って残していったものだ。
かちりと開くと、その中で素朴な少女が微笑んでいた。つられるように、笑みが浮かんでしまう。
「そろそろ、エリーのやつも戻ってくるかもな」
エリーは、錬金術の道を極め、成長するために、マリーの旅に同行してザールブルグを離れた。
それから、1年。
・・・今頃、どうしているだろうか。
「楽しそうだな、ダグラス」
背後からの突然の声に死ぬほどびっくりして振り返ると、
長い黒髪を無造作にたらした漆黒の目の男性が、ダグラスの肩越しに鋭く静かな視線を光らせていた。
「エルフィールか」
ダグラスの顔が、首筋からかあっと赤く染まった。汗が滝のように噴出す。
「・・・たたた、隊長!!あの、いやそのあの、俺はその、つつ、つまり」
あたふたと胸元にロケットをしまったダグラスを見ながら、エンデルクは深いため息をついた。
「直立不動で終始睨みを利かせていろと言うつもりはない。
うっかり怪しい者が入っても、わたしが食い止める。
だが・・・真後ろに立たれるまで気がつかなかった己を恥と思え。
慢心こそが最大の敵だということを忘れるな」
「は、はい」
ダグラスはうなだれた。やはりこの人には、真の意味ではいつまでも敵わない気がする。
「失礼しました!二度と油断はしません!」
深々と頭を下げると、エンデルクは穏やかな表情になって頷いた。
「その言葉、忘れるな」
ダグラスの肩を叩き、奥へ去って行く。去り際も鮮やかだ。その後姿には一瞬の隙もない。
畏敬の念を覚えつつ隊長を見送ったダグラスは、
新たな気持ちで持ち場へ直ろうとして、ふと背後にただならぬ気配を感じた。
殺気だった気が急速に近づいてくる。ダグラスは反射的に剣に手をかけ振り向いた。
「誰だ!!」
「わっ!!」
それが、現在ザールブルグアカデミーで講師を務めているクライス・キュールだと認識した瞬間、
クライスが何かを取り落とした。
「ああっ!」
カシッ。
何かが砕ける音。
それに続いて、
『やっほおクライス〜!あんた面白いもん作ったわねえ〜!あっはっはっは!!』
声。
ダグラスは呆気にとられて辺りを見回した。
女性の・・・しかも、マリーによく似た声が聞こえるのだが、周りには見当たらない。
いるのは青ざめたクライスのみ。
『あったしたちはねえ〜、これから盗賊たちと一戦交えるのらあ〜!
こてんぱんにしちゃるのらあ〜!』
『マ、マルローネさん、やめましょうよ、ね?』
泣き声まじりのエリーの声まで聞こえる。
『何?エリー、あれで引き下がるつもりい?!』
『でも、またやられちゃいますよ』
『な〜に〜?あたしの方が弱いっての?』
『そうですよ、だってマルローネさん、お金取られた上、足をそんなにされちゃったのに』
『だぁーからリベンジするんじゃないのおおっ!!』
『酔ってるんですよマルローネさん!ほら、昨日は寝てないのにそんな、ああーっ!!』
ガシャーン、と音がして、そこで声は途切れた。
「・・・・・・・・・・い、今のは?」
しばしの沈黙の後、ダグラスはやっとのことで口を開いた。
クライスは青ざめた顔のまま、淡々と答える。
「マルローネさんとエリーの声です」
「でも、ここには二人共・・・」
「先程落としたのは、わたしが最近調合に成功した、オリジナルアイテムの封声石です。
声は石に封じられていたのです」
「そ、そうか。よくわかんねえけどよ・・・それはともかく、さっきの声の内容って」
「そうです。マルローネさんは酔って盗賊のところに乗り込もうとしていました。
しかも一度やられてしまったらしい。相手はエリーが泣き言を言う程の強敵です」
「足がどうとか言ってなかったか?」
「はい。封声石をもってきた妖精のピルチェは、マルローネさんが足に怪我をしていたと言っています。
怯えきっていて、今わたしの部屋で休んでいますが・・・」
「ちょっと、もう一度さっきの声聞かせてくれねえか?」
クライスは砕け散った封声石を見下ろした。
「・・・使用は一度きりです」
「でも、あんたの口ぶりじゃここに来る前に聴いてたみてえじゃねえか」
「砕くときに、声を別の石に封じる用意をして発動させておけば、
同じ内容のものを予備に作成できますから」
ということは、先程砕けたのは予備のものだったのか。
「すまねえな。俺のせいで」
「いえ、構いません。驚きましたが、元々、あなたに聴かせるつもりでしたから。
とりあえず、わたしの部屋へ来てくださいますか」
「お、おう」
・・・しかしそれにしても、エリーの声なんて久々だ。もう一度聴けないのは、惜しいな・・・。
と思ってふと横を見ると、クライスも砕けた石を惜しそうに眺めている。
ダグラスと目が合って、慌てて顔を引き締めたが、彼も似たようなことを考えていたらしい。
おそらく、また予備をとってマリーの声を保存するつもりでいたのに、
ふいうちでそれができなかったのだろう。
何もかも違う二人だが、ダグラスは「同志」と肩を叩きたい気分だった。
クライスの部屋では、ピルチェがベッドに座って待っていた。
ちょこん膝に乗せた両手を握ったり開いたりして、不安げな様子だ。
「あっ。お帰りなさい、クライスおにいちゃん」
「ピルチェ、こちらはエリーの友人のダグラスです。面識はありますか」
「うん。お話したことはないけど知ってるよ」
ダグラスもピルチェを見たことがあった。
動くたびに色が穏やかに変化する虹色の服は、本当に珍しくて不思議だ。
「詳しい話を聞かせてくれねえか」
「うん」
ピルチェの話によると、こうだった。
クライスのところへお使いに出されたピルチェが、
クライスが新しく開発したというオリジナルアイテム「封声石」を託されてマリーの元へ戻ってみると、
マリーは足に包帯をぐるぐる巻きにしてふてくされていた。隣で、エリーが肩を落としている。
「ど、どうしたんですか」
エリーが涙目になって答えた。
「・・・有り金全部とられちゃった」
「ええっ?!」
マリーも悔しそうに歯軋りする。
「足までこんなふうにされて・・・ううう、あんっの盗賊野郎!」
「と、盗賊にやられたんですか」
「そうよっ、ああもう!こうなったらやけ酒よ!ピルチェ、お酒持って来て!!」
ものすごい迫力のマリーに気圧されながら、ピルチェはわたわたとワインの瓶を持ってきた。
マリーはその瓶を一気に煽る。
「ぶはっ!げほげほげほっ」
「マルローネさん、大丈夫ですか?!」
エリーはマリーの背中をさすった。
「くっそう・・・このままじゃ済まさないわよ。リベンジよ、リベンジ」
「無理ですってば!」
エリーは必死になってマリーをなだめる。
が、その後も一晩飲んでべろんべろんになったマリーは、朝になって絶対に行くと言い出した。
そこで気を逸らそうと、ピルチェは渡しそびれていたクライスのオリジナルアイテムをマリーに渡したのだが、
マリーの気をそぐことは出来ず、結局封声石に声を封じた後、石をピルチェに預けると、
エリーをひきずるようにしながら出かけて行ったのだ。
あまりに心配だったので、マリーたちの後をつけて様子を見に行ってみたが、
そこで見た盗賊はすごく強そうで怖くて、只者じゃない感じがしたという。
しかも当然、相手は一人ではなかった。
ピルチェは怖くてそれ以上見ていることができず、言いつけ通りクライスの元へ急ぐことにした。
「・・・大体わかりました。それで、場所は?」
「南です。え・・と・・・人間の足だと・・・1ヶ月、くらいかな」
「・・・・・・・・・・。」
そうだ。そうだった。
マリーとエリーは遠い地を旅している。
妖精は一日で移動できるが、人間には無理だ。
だからこそ、妖精便などというものが組織されているのではないか。
救出に向かおうにも、1ヶ月もかけていては、とても間に合わない。
馬を使おうにも、平原の多い東ならともかく、岩場の多い南では難しいし、
それでも間に合わないだろう。
ピルチェもそのことについては考えていなかったらしく、絶望に青ざめていた。
「ふえええん、マリーおねえちゃん・・・エリーおねえちゃん・・・」
べそべそと泣き出したピルチェの側で、
クライスは必死になにか方法はないかと思い巡らしているようだった。
それはダグラスも同じだ。しかし、何も思いつかない。
「そういえば、妖精たちはどのようにして、あのように短い時間で移動するのですか」
クライスの言葉に、ダグラスは一条の光を見出した。さすが、エリートは目のつけどころが違う。
「そうだ、何か特別な方法があるんじゃねえのか?」
ピルチェは泣きながら顔を上げたが、二人を見比べて、再び顔を伏せた。
「おにいちゃんたちにはぜったいに無理だよおお」
「とにかく、その方法を教えてくれよ!」
「あんまりしゃべっちゃいけないんだけど・・・」
「マリーさんの危機なんですよ?マリーさんが死んでしまってもいいんですか?」
「死っ・・・!」
ピルチェはその脅しを聞いて、目をまん丸に見開き、おののいた。
「やだあああ!」
「じゃあ、教えてください」
ピルチェはこくりと頷いて顔をこすった。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を見かねたダグラスが、ハンカチでごしごしと拭いてやる。
「ふぐっ、痛いよお」
「贅沢言うな。ほら、話せ」
「ん・・・」
ピルチェは足の間で手を組み合わせ、おずおずと二人を見比べた。
「他の人には話さないでね」
「おう、もちろんだ」
「わかってますよ」
ピルチェはやっと口を開いた。
「ぼくたちは、動物さんたちの助けを借りるんだよ」
「というと?」
「動物さんを操るんだ。
意識を繋げて、運動能力を最大限に引き出す術もかけて、乗り物になってもらうの。
あんまり知能が高かったり、相性が悪いと無理なんだけどね。
いつも大体は、おっきい鳥さんに乗っていくの。それが一番早いし、楽だから」
「・・・で、その術は一度に一つの対象にだけ有効なのですか?」
「普通はそう。でも、ぼくみたいな虹妖精クラスになると、三つくらいは大丈夫だけど・・・」
ピルチェは改めて二人を見た。
「おにいちゃんたちみたいに大きい人が乗れるような鳥さんはいないよ」
・・・確かにそうだろう。
「では、グラビ結晶を利用すれば、どうですか」
「重さだけの問題じゃないよ。そんなに大きかったらバランスが保てないもん」
「大きさか・・・」
ダグラスは頭を抱え込んだ。
「体を細切れにして持ってくわけにも、縮めるわけにもいかねえしな・・・」
「いいえ」
クライスの声に、ダグラスは顔を上げた。
「あります、方法が・・・ひとつだけ」
その顔は苦悩に歪んでいるように見えた。が、ダグラスは勢い込んでとびついた。
「どんな方法なんだ?」
クライスはしばらく黙っていたが、ひとつため息をつくと、意を決したように立ち上がった。
「あれを、自ら使用することになろうとは・・・しかし、他に方法はないようです。来てください」
クライスは、ダグラスを奥の薬品庫に導いた。