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●2001.6.9 ○に様寄贈作品●

はじめての調合

「行ってきます」
小さな声で言うと、少年は家を出た。親に聞こえても聞こえなくても、特に気にはしない。
少年は、小脇に1冊の薄い本を抱えていた。
実は、その本は、姉の持ち物だった。しかし、今の姉は、もうその本を必要としていないはずだ。少年は、そう判断し、姉の部屋からこっそりと持ち出してきたのだ。
日は照っているが、暑すぎるほどでもない。さわやかな涼風が、時おり吹き過ぎていく。
本を抱えたまま、外門のところまで行くと、警護に立っていた若い騎士隊員が少年に気付いて声をかける。
「よう、ぼうず、どこまで行くんだい?」
別に、騎士は少年に対して怒ったり、とがめているのではない。ここを通る人間には、必ず行き先を尋ねることになっているのだ。
「近くの森・・・」
少年はぶっきらぼうに答える。
「そうか。でも、気を付けろよ。野犬が出ることがあるからな」
少年は、黙ってうなずくと、きびすを返した。
「あっと、ちょっと待ってくれ。ぼうず、名前は? 一応、規則だから、聞いとかないといけないんだ」
少年は、足を止め、振り向く。
少年がかけている眼鏡の銀のフレームが陽光を反射してきらめく。この年格好で眼鏡をかけているのは珍しい。
「クライス。クライス・キュール」
必要なことだけを口にすると、少年は、気取った動作で眼鏡の位置を整え、さも時間を無駄にしたというように肩をすくめて、ザールブルグの外壁を回ってすたすたと消えていった。
「ませたガキだな・・・」
騎士は、聞こえないようにつぶやいた。


畑に囲まれた農道を1時間も歩くと、森に到着する。
クライスは、少し森を入ったところにある切り株に腰掛けて、持ってきた本を開いた。
『絵で見る錬金術』と表紙には書いてある。
裏表紙には、手書きの文字で「アカデミー1年 アウラ・キュール」と、姉の名前が記されている。
7つ違いの姉のアウラは、昨年ザールブルグに開校したばかりの、魔法学院アカデミーの生徒なのである。アカデミーでは、『錬金術』というものを教えるのだという。
クライスは、姉の話を聞くうちに、錬金術に大きな興味をもつようになった。
ところがアウラは、
「錬金術には危ない実験もあるし、子どもが知ってはいけないような知識もあるのよ。大きくなったら、あなたもアカデミーへ入って、思う存分勉強すればいいわ」
と言って、詳しいことを教えてくれない。
そこで、やむを得ず、クライスは姉の留守中に姉の部屋へ忍び込んで、手近にあったいちばん易しそうな本を、持ち出してきたのだった。
どきどきしながら、ページをめくっていく。
錬金術で使う材料となる自然の植物や、簡単な薬品の作り方が、絵入りで紹介されている。
15歳の学生向けに書かれた本なので、8歳のクライスには読みこなせない部分もあった。それでも、姉が書き加えたメモを読んだり、わからない部分は想像で補いながら、クライスはわくわくしてページをめくっていった。
そして、しばらくすると、クライスは本を置き、熱心に森のあちこちを動き回りはじめた。草むらを覗き、やぶをかき分け、時には木の幹を揺らす。
「あった!」
勝ち誇ったように、抜いた草を本のところまで持っていく。
「まちがいない、これ、『魔法の草』だ・・・」
それからしばらく、クライスは次々にいろいろな植物を採って来ては、本と照合を続けた。
『魔法の草』のほかにも、『うに』や『オニワライタケ』といった木の実やキノコを見つけることができた。
大きくて平らな切り株の上に採取した品を並べ、クライスは大人っぽいしぐさで腕組みをし、満足そうにうなずいた。
この材料を使ったら、今の自分でも、錬金術ができるのだろうか?
クライスは、姉の机の上に並んでいる乳鉢やガラス器具を思い浮かべ、自分がそれを使っているところを想像してみた。
だから、後ろから声をかけられた時、クライスは心臓が止まりそうになった。

「あ、あの・・・」
木と木の間から顔を覗かせ、恥かしそうに声をかけてきたのは、栗色の髪を三つ編みにして垂らし、緑の瞳をした少女だった。年はクライスと同じか、少し上くらいだろう。清潔そうな上衣と上等そうなスカートをまとっている。
クライスは、初めて会う少女だった。
夢の時間を邪魔されたクライスは、少し冷たい口調で言った。
「何か用なの?」
少女は恥かしそうにもじもじしながら、
「あの、あたし、お散歩に来たんだけど、道に迷っちゃったみたいで・・・」
ふっくらとした丸顔に、大きな目を見開くようにして、消え入りそうな声で続ける。
「あの・・・。街へ帰るには、どっちへ行ったら・・・」
そう言いながら、少女の顔はだんだんと青ざめてきた。とうとう立っていられなくなったのか、柔らかな草むらにへたるように座り込んでしまう。
クライスも心配になり、少女に近寄る。
「どうしたの? 具合悪いの?」
「ごめんなさい。あたし、生まれつきからだが弱いの。だから、お医者様からは、外へ出ちゃいけないって言われてたんだけど、あまりいい天気だから、こっそり家を抜け出して・・・」
「そうか。ぼくと同じなんだね」
「え、あなたも病気なの」
「違うよ。家を抜け出してきたのが、同じだって思ったんだ」
「ねえ、あなたの名前は何ていうの?」
「ぼくは、クライス」
「あたし、シアよ」
その時だ。
いきなりやぶをかき分けて、人影が現われたのだ。
シアが身を固くし、クライスも一歩退く。
「あ、ごめん。驚かせちゃった? 人がいるとは思わなかったんだ」
現われたのは、クライスよりも4、5歳年上だろうか、10代前半の少年だった。金髪に青い瞳、邪気のない表情で、こちらを見ている。この少年も、クライスは会ったことがない。
新来の少年は、ちょっとおどおどした表情で、クライスとシアを見比べていたが、
「じゃあ、ぼくはこれで」
と立ち去ろうとした。
「待ってよ」
クライスが言う。
「この子、からだの具合が悪いんだ。街に連れて帰るのを、手伝ってよ」
銀縁眼鏡越しに、クライスに見つめられた年上の少年は、
「うん、わかったよ。それじゃ、ぼくがおぶって行こう」
としゃがんで背を向ける。
クライスが手を貸してシアを立たせ、シアは少年の背におぶさる。
クライスは、自分の採取した品を名残惜しそうに見ていたが、姉の本だけを小脇に抱えると、後について行った。
おぶさりながら、シアが問わず語りに言う。
「あたし、最近、親と一緒にザールブルグへ引っ越してきたの。いなかにいた頃から、あまり丈夫な方じゃなかったんだけど、こっちへ来てからもっと悪くなって・・・。いろいろな薬を試しているんだけど、なかなかからだが良くならないのよ・・・」
かたわらを歩いていたクライスは、ふと思い付いて言う。
「そうだ! 錬金術は? 錬金術を使えば、いろいろな薬が作れるって、姉さんが言ってたよ」
「錬金術? 聞いたことがないわ・・・」
シアは寂しそうに笑った。その表情に、クライスは心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
シアの家(かなりの大邸宅だった)に着き、別れ際に、クライスは大きな声で言った。
「ねえ、ぼくが作ってあげるよ。錬金術を使って、ぼくが薬を!」

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