寄贈図書室へ戻る
←前ページへ

マーサとパロスがクルスリーブ村に居を構えて、半年が過ぎようとしていた。
穏やかで優しい性格のマーサは、村のおかみさんたちの中にすっかり溶け込み、一緒に糸車を回したり、水汲み場でのおしゃべりに参加したりしていたが、決してでしゃばろうとせず、そういうところも好感を持たれていた。
しかし、パロスの方は、そうは行かなかった。
何と言っても、田舎の村である。
遊びといえば、野山を駆け回っての陣取り合戦や、木登り、ウサギ狩り、近くの川での水泳や魚獲りが中心になる。
要するに、体力勝負なのだ。
冬の間、雪が降りしきって外での遊びができない時、屋内での双六やカードゲームでは、パロスは決して負けることはなかった。目立つような大きな勝ち方はしなかったが、ゲームが終わってみると、トータルでは必ず勝っているという、そんな感じだった。
これは、村の少年たちにとって、あまり面白いことではなかった。
そして、春。
雪解け水が流れ、草花が芽吹き、小動物たちが冬眠から覚める時期になると、パロスは一気に劣勢に立たされることとなった。
パロスは、同じ年頃の、いや、もっと年下の子供たちと比べてさえ、体格は華奢で、筋力もなかった。
屋外で、体力を使う遊びの時は、どうしても出遅れてしまう。他の子供たちが楽々と森を駆け抜け、丘を下り、木から木へ飛び移って行くのを、息も絶え絶えになり、大きく遅れてついて行くのがやっとだった。時には、息が切れ、貧血を起こして倒れてしまうこともあった。
村の子供たちの中には、そんなパロスを露骨にばかにしてみせる者もいた。村長の息子ゲランも、そのひとりだった。
しかし、それは決して“いじめ”ではなかったろう。
少年たちは、普通に遊んでいるだけなのだ。それについて来られないなら、来られない方が悪い。パロスも、その気になれば、他の少年たちと離れ、独りで遊んでいることもできたはずである。だが、マーサがそれを許さなかったのだ。
集団生活をしている社会の中で、そこからはみ出して生きていくのは、並大抵のことではない。マーサが言い聞かせるのを、パロスは何度も聞き、なんとか同年代の子供たちの一員として認められるよう頑張っていたのだった。
しかし、その頑張りも実を結びそうになかった。
ある事件が起こるまでは。
それは、初夏のある日だった。
少年たちは、いつものように、村の近くの森で、陣取り合戦をやっていた。
これは、二組に分かれてそれぞれ大木を選び、そこを基地にする。そして、森の中を隠れて進み、相手の木に先にたどり着いた方が勝ち、といういたってシンプルな遊びである。もちろん、途中で“敵”を見付けたら、捕まえて捕虜にすることもできる。捕虜にするには、相手に気付かれずに近づき、背中を叩けば良い。
この時、ゲランは片方の総大将だった。
総大将が捕虜になれば、そこでゲームは負けになってしまう。だから、通常は総大将は基地の木を離れない。
しかし、ゲランには捕まらない自信があった。
彼は、他の子供たちには登れないほど高く木に登り、梢から梢へと猿のように渡っていった。
まさか、こんな高いところから攻めて来るとは、敵も思ってはいないだろう。
このまま気付かれずに敵が基地にしている大木まで行きつけば、それで勝ちだ。
あと数本の木を渡れば、敵の基地にたどりつく。
もう少しだ。
手を伸ばし、隣の木の枝をつかむと、えいとばかりに身を躍らせて大枝にしがみつく。
だが、ゲランは計算違いをしていた。自分の体重を軽く見積もり過ぎていたのだ。これがパロスだったら、何の問題もなかったろう。枝は十分に、その重さを支えてくれたはずである。もっとも、パロスの体力ではこの高さまで登り切ることはできなかっただろうが。
ともかく、ゲランが身をあずけた枝は、その重みに耐えかねて、ボキリと折れてしまった。
「うわあっ!!」
葉叢を揺らし、小枝を折りながら、ゲランは地上へ向かって落ちた。
途中の枝がクッションになり、落下速度を緩めてはくれたが、受け止めてはくれない。
ゲランは頭から落ちていった。
無意識のうちに、頭をかばおうと、右手を突き出す。
ゲランは、下生えの中に、右手から落ち、受け身をとるような形になった。
激しい衝撃を右腕に感じ、ゲランの身体は一回転して地面に叩き付けられた。
物音と悲鳴に驚いて、森のあちこちから少年たちが集まってくる。
仰向けに倒れていたゲランは、全身の痛みに耐えながら、身を起こそうとした。どうやら、柔らかい腐葉土が助けてくれたらしい。
しかし、右手で身体を支えようとした時、頭の中が真っ白になるような激痛が走り、ゲランはうめいた。
遠巻きに見ていた少年のひとりが、悲鳴をあげる。
「手が! ゲランの腕がぁ!!」
ゲランはそっと顔をめぐらし、自分の右手を見た。
「!」
彼は、悲鳴をあげることさえできなかった。
右の手首の上から先が、だらんと力なくたれさがっている。そこからは、真っ赤な血が泉のようにあふれ、折れた骨のぎざぎざになった先が、白く突き出していた。
「うわあっ!」
子供たちは、先を争って逃げ出した。今、目の前で見た光景は、かれらの世界にあってはならないものだったのだ。パニックを起こして当然だった。
ゲランは、ショックと痛みで声も出せず、その場に横たわっていた。
(俺・・・死んじゃうのかな?)
その時、ひとつの影が近づいてきた。
眼鏡の銀のフレームが、きらりと光る。
「これを噛んで!」
有無を言わさぬ口調とともに、青臭い木の葉が何枚か、ゲランの口に押し込まれた。
言われるままに、それを噛み締める。
苦い味がして、吐き出しそうになったが、口を覆った手が、それを許さない。
しばらくすると、ゲランはぼうっとしてきた。気分がぼんやりし、痛みも薄れてくる。
その間に、パロスは手ごろな長さの枝と、何種類かの薬草を見つけてきた。
自分が来ていたシャツを脱ぎ、引き裂く。そして、すりつぶした薬草の汁を、布に染み込ませる。
パロスの青白い肌と、ゲランの日に焼けた肌が対照的だ。
パロスはためらう様子もなく、血にまみれたゲランの手首を持ち、折れた前腕部を固定して、包帯代りのシャツを巻く。さらに、枝を添木にしてシャツをもうひと巻きした。
子供たちの知らせを聞いて、村長のガレットをはじめ、村人たちがかけつけた時には、応急手当てはすっかり終わり、ゲランはパロスの膝を枕にして眠っていた。
あ然とする村人たちに、パロスは静かに言った。
「痛み止めの薬草を飲ませたから、今は眠ってます。傷口は消毒して、血は止まったけど、右腕は完全に折れてるから、早くちゃんとしたお医者さんにみせないと、右手が動かなくなってしまうかも知れません・・・」
村に運ばれたゲランは、数日後、巡回医の治療を受けることができた。
このあたりの村々を回っている老医師は、つぶやいた。
「折れた直後の処置が良かったから、この右手は助かったんじゃ。そのまま放っておいたら、傷が腐って、肘から先を切り落とさねばならなかったかも知れんぞ」
それを聞いた時から、ゲランのパロスに対する態度はがらりと変わった。
ゲランが変われば、村の他の少年たちも、右へならえだった。
この、ある意味では一方的な友情の押し付けに、パロスは迷惑そうな表情をすることもあったが、マーサは心から喜んでいるようだった。
もちろん、村長のガレットも、このふたりを村に住まわせることを許した自分の先見の明を誇りに思うとともに、パロスへの感謝の気持ちを忘れることはなかった。
しかし、別れの日は唐突にやってきた。
2年目の冬は、いつになく寒気が厳しく、特に老人たちの間に肺炎が流行した。
そして、マーサも2週間ほど寝込んだ後、あっけなく亡くなってしまった。
葬儀はすべてガレットが取りしきり、遺体は春になって雪が解けた後、ふたりが住んでいた小屋の裏手に葬られることとなった。
パロスは葬儀の間中、無表情のまま、涙すら見せなかった。
村人たちは、唯一の肉親を亡くした悲しみが大きすぎるのだろう、と思い、なにくれとなくパロスに慰めの言葉をかけた。しかし、パロスは緑色の目をどこか遠くに向けたまま、上の空のようにうなずくだけだった。
村長のガレットは、独りになったパロスを、自分の家に引き取ろうと申し出た。パロスは、とりあえず春になるまで、という条件を付けて、ガレットの家でひと冬を過ごした。
春が巡ってきた。
雪が解け、柔らかくなった土に墓穴が掘られ、マーサの小さな遺体が埋められた。村人全員が、ひとすくいずつの土をかけ、短くはあったが親しく付き合った老女の霊を慰めた。
その翌日。
パロスが、1通の手紙をガレットに手渡した。
「マーサの遺言状です」
表情を変えぬまま、パロスは言った。
それを読んだガレットは、内容に愕然とした。
そこには、次のように書かれていた。
マーサが亡くなったら、パロスは占い師としての修行を積むため、独りで村を旅立つこと。しかし、パロス自身、ないしはその子孫がクルスリーブ村へ戻ってくる時のために、小屋とその中の調度類には一切手をつけず、そのまま保管しておくこと。
「ほ、本気か、こりゃあ? 本当に、まだこんなに小さいのに、独りで修行の旅に出るって言うのか?」
信じられないように言うガレットに、パロスは黙ってうなずく。
「それにしても、あまりに無茶だ。修行だったら、この村でだって、できるだろう。それでいいじゃないか」
なんとか説得しようとするガレットに、パロスは静かな、しかし反対を許さない大人っぽい口調で答えた。
「マーサの遺志は、ぼくの意思です。・・・明日、この村を出ます。お世話になりました」
そして、まだあどけない子供のパロスは、小屋に鍵を掛け、ザックを背負うと杖を片手に、クルスリーブ村を旅立った。
村の外まで、ゲランが追いかけてきた。
「なあ、パロス、いつか、帰って来てくれるよな。約束してくれ」
涙声になったゲランの言葉に、パロスは振り向き、口元に微笑を浮かべた。
「ああ、必ず・・・。ぼくが無理でも、ぼくの子供がね・・・。ここは、ぼくの故郷なんだから・・・」


「それで? そのパロスさんは帰って来たの?」
リルミスが、身を乗り出して尋ねる。
バーセルが答える。
「いや・・・。彼は、戻っては来なかった。しかし、それから30年後、ゲランが村長の時代に、そのパロスの息子と名乗る少年が帰って来た。年は、10代半ばだったそうだ。以前のパロスのことを覚えていたのは、村でも年かさの連中だけだったが、その少年が先代パロスの血をひいていることに疑いの余地はなかった。同じ緑色の目、褐色の髪、透き通るような肌。おまけに、ご丁寧に、同じ眼鏡までかけていたそうだ」
「あら、それじゃ、今のパロスさんとまったく同じじゃない。目の色も、肌も、眼鏡だって・・・」
リルミスが興味深そうに言う。いささか無遠慮に見つめるリルミスの視線を避けるように、パロスはせき払いをして、
「私の一族の血統は、よほど強力なようでしてね、目の色、髪の色、肌の色、これらは子々孫々まで逃れるすべがないようです。いつか、私が息子を持ったとしても・・・」
「そりゃあ、無理ってもんだな。あんたみたいに女嫌いじゃ、子供なんて作れやしないぜ」
「ちょっと、お父さん、失礼よ」
「まあ、ともかくだ・・・」
と、バーセルは真顔になって、
「その“2代目”のパロスさんも、この村で何年か暮らすと、またふらりと旅に出ちまったらしい。で、まだわしがガキの時代に、“3代目”、つまりあんたの親父さんが戻ってきたわけだ。わしはまだ覚えているが、今のあんたをひとまわり若くしたような感じでな、そっくりだったよ」
「そうですか・・・」
「で、“3代目”も、わしが大人になる前に、村を出て行っちまった。で、“4代目”のパロスさん、あんたが戻って来てくれたってわけだ」
バーセルは言葉を切り、ティーカップの残りを飲み干す。
「なあ、あんたもまた、いつか、この村を出てっちまうのかい?」
真剣な顔で問われ、パロスは居心地悪そうに身じろぎした。リルミスも、じっとパロスを見つめる。
「少なくとも、私はこの村が気に入っています。近くに、興味深い古代遺跡もたくさんありますしね。静かで、余計な詮索をする人が少ないのも、ありがたいです」
「それじゃあ・・・」
「先のことは、その時になってみないとわかりません。・・・おや、かなり日が傾きましたね。これで失礼しようと思います。おいしいお茶を、ごちそうさまでした」
言うと、パロスはそそくさと席を立ち、村外れの自宅に向かって早足で歩いていく。
「やっぱり、少し変わってるわよね。でも、いい人。ずっと、いてほしいな」
その後ろ姿を見やりながら、リルミスがつぶやいた。

村外れの小屋に帰り着いたパロスは、すぐに家には入らず、裏手に回った。
そこには、ひとつの墓標が立っている。長年の風雨にさらされ、刻まれた文字も薄くなっている。
マーサ・エイヴォンの墓だ。
パロスはひざまずき、そっと墓標をなでた。
そして、心の中で語りかける。
(今日、久しぶりに昔のことを耳にしましたよ、母さん・・・。時々ですが、私は、自分に流れるエルフの血が疎ましくなります。たしかに、母さんのような普通の人間に比べて、長く生きることができ、時間だけはたっぷりとある・・・。そう言えば、この村に来た時、私は既に30年近く生きていたのですよね。見かけは10歳の子供でしたが・・・。でも、あの時、友達だったゲランは、もう過去の人になってしまい、今はその孫が村長をしています。あの、小鳥のようなリルミスも、いずれは年老い、私を置いて時の流れの中に消え去っていくことでしょう。でも、その前に、私の方がこの村を出て行くことになりますね。そして、再び、その息子として帰ってくることになるでしょう・・・。いつまでも、年をとらないでいる存在・・・それは、普通の人から見れば、“化け物”なのですから・・・)

そして、ハーフエルフ・・・普通の人間の5倍の寿命を持つハーフエルフのパロスは、初めてここを訪れた100年前の時と同じように、部屋にこもると、古代文字の解読を始めた。

<おわり>


≪綾姫より≫
某所のTRPG「Eternal Wind 〜風の詞〜」のキャラ、パロス・エイヴォンの物語。
本編は、こちらにあります。
寄贈はアトリエものが基本ですが、綾姫がねだって例外的にいただいてしまいました♪
というか、前回ボツったリクを起こしてプレゼントしてくださったのです!
パロスさんは「色違いクライス」なキャラなので、クライス好きには喜んでいただけるかと。
相変わらず、上手いです♪演出が心憎いです!
1周年にこんなものいただけるなんて、嬉しくて幸せで踊っちゃいますよ〜♪
○に様には本当に、開設当初どころかネットを始めたころからお世話になっています。
いつもありがとうございます!これからもよろしくお願いします。o(^-^)o


←前ページへ
寄贈図書室へ戻る