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●2001.8.7 綾の国1周年記念お祝い寄贈作品 ○に様より●

永劫回帰

ある秋の日の、昼下がりであった。
紅葉しかけている木々がそこここに立ち並ぶ、のどかな村の中の一本道を、すたすたと早い足取りで歩を進めている青年がいた。
聖職者が身に着けるような白いローブをまとい、髪は褐色、肌の色は透き通るように白い。銀縁眼鏡の奥に光る両の瞳は深みのある緑色で、口元は無表情に引き結ばれている。
片手に薄手の書物とノートをかかえ、彼は家路を急いでいるところだった。
このクルスリーブ村は、ハーガゼント王国の東部辺境に位置しており、王都エナレスケンドからも遠く離れている。しかし、はるか昔、古代ヴィラキア帝国の版図であった時代には文化の中心でもあったらしく、村の近在には、古代の遺跡や人工的な洞窟が多く点在している。
青年は、そんな古代遺跡の探索から戻って来たところだった。
これまで発見されることがなかった隠し扉を見付け、その中の石壁に書かれた古代文字の碑文を発見したのである。古代ヴィラキア文字の変形と思われるそれらの文字をノートに書き写し、これから家へ戻って解読しようと、青年は胸を高鳴らせていた。
この時間帯、村人たちのほとんどは農作業や狩猟に出かけており、小さな子供たちがはしゃぐ声が聞こえる他は、村は閑散としていた。
村の中央広場を早足で横切ろうとした時・・・。
「お〜い、パロスさん! パロスさんよう!」
自分の名を呼ぶ声に、青年は心の中で舌打ちしながら足を止めた。
今は、誰にも邪魔をされたくない気分なのだ。しかし、声の主が村長とあっては、無視するわけにもいかない。
中央広場に面した村長宅の、南向きの日当たりのいい庭から、村長のバーセル・リーズが手を振っている。
青年パロス・エイヴォンは、髪をかき上げ、本を抱えていない方の右手で眼鏡の位置を整えると、自宅がある村外れの方をちらりとながめた後、村長に向き直った。
「こんにちは。なにかご用ですか?」
にこりともせずに、挨拶するパロスだが、バーセルはいっこうに気にした風もなく、
「ははっ、相変わらず愛想無しだな。これからお茶にするんだ。よかったら、一杯飲んでいかないか。あんたに見せたいものもあるしな。リルミスがいれたハーブティーは、天下一品だぜ」
そして、パロスの返事を待つまでもなく、既にティーセットが整えられたテラスのテーブルの方へ向かっていく。
(ふう・・・。仕方ありませんね。楽しみは、しばらくのお預けとしますか・・・)
パロスは心の中でつぶやくと、村長の後に続いた。
「あ、パロスさん、いらっしゃい」
ティーポットを手にした、村長の娘リルミスが微笑んでパロスを迎える。パロスは曖昧にうなずいて、テーブルの隅に書物を置き、椅子に掛ける。
すぐに、パロスの前に薫り高いハーブティーが入ったカップと、リルミス手作りのクッキーが置かれる。
「さあ、どうぞ。・・・お父さんも、早く来ないと、せっかくのお茶がさめちゃうわよ!」
リルミスの声に、いったん屋内に戻っていたバーセルがあわてて出てくる。
その手には、古ぼけた写本が握られていた。
とたんに、パロスの緑色の瞳に光が宿る。古書文献や古代遺物には、目がないのだ。
「それですか? 私に見せたいものというのは」
「もう! お父さんったら、お茶の時間にそんなかび臭いものを持ち出して来るなんて! せっかくのいい香りが台無しよ」
リルミスの抗議に、いくぶんかすまなそうな顔を見せながらも、バーセルはパロスの斜向かいにどっかと腰を下ろした。
その隣に、行儀よくリルミスが座る。
この家に母親はいない。行方不明なのだ。もうひとり、リルミスの弟がいるはずだが、遊びにでも行っているのか、姿は見えない。
「さあ、これだ。実は、先日、物置を片づけていて、見付けたんだ。わしのじいさんの父親、ということだから、わしのひいじいさんだな・・・名前は、ガレットという。これは、そのガレット・リーズが書いた、この村の年代記なんだ。まあ、年代記と言っても、日記に毛が生えたようなものでな、とりとめのない備忘録といったところなんだが・・・」
バーセルは、一方的にしゃべりまくっていたことに気付いて、口をつぐんだ。
礼儀正しくカップを口元に運んではいるが、明らかにパロスは興味を失っていた。何代か前の村長の日記など、古代ヴィラキア文字の碑文と比べたら、ごみのようなものだ。
「で・・・? それを私にどうしろとおっしゃるのです?」
口調は丁寧だが、パロスの声は冷ややかだった。
バーセルは、いささかあわてたように、
「いや、違うんだ。あんたを呼び止めたのは、別に、この写本を解読してくれとか、そんな用事じゃない。実は、この中に、あんたのご先祖が、この村に初めて移り住んできた時のことが書いてあるものだからな。あんたも興味が湧くんじゃないかと思ってな」
「私の・・・先祖・・・」
今度はパロスも興味をひかれたようだった。
「さあ、ここだ」
と、バーセルは、写本の真ん中あたりを開いた。さらにかび臭い匂いがたちのぼり、リルミスが顔をしかめる。でも、まんざら興味がないわけでもなく、リルミスもページをのぞき込む。リルミスの顔が間近に迫り、パロスはあわてて身をひいた。
「3人でいっぺんに見るのは、難しいぞ。それじゃ、わしがかいつまんで話してやろう。もう、昨日、一度読んでいるからな」
と、バーセルは話し始めた。
「ここに書かれているのは、今からちょうど100年と少し前にあった出来事だ・・・」


秋も、終わりに近い頃だった。
1台の荷馬車が、クルスリーブ村を訪れた。
さして多くない家財道具を積み込んだ馬車には、御者の他に、60歳を少し越えたくらいの品のいい老女と、その孫と思われる10歳前後の少年が乗っていた。
馬車を村の中央広場に止めると、老女は少年を連れ、まっすぐ村長の家に向かった。
「この村に住みたい・・・。そうおっしゃるのですかな?」
突然の申し出に、村長のガレット・リーズはとまどった。
クルスリーブ村は、平和でのどかで、よくまとまった村だった。村中の誰もが、親や祖父母の代からの知り合いで、村を出ていく者もなく、外から入り込んでくる者もいなかった。
だが、マーサ・エイヴォンと名乗る老女は、穏やかだがきっぱりとした口調で、言った。
「私は、占い師を生業として、これまで暮らしてきました。そして、私が余生を過ごすのには、この村がいちばん良い、と占いにも顕れているのです。しばらく村の中を見せていただきましたが、本当に、住んでいる方々も穏やかで、親切そうな方ばかりのようですね。これならば、私も孫も、安心して暮らすことができます」
「あなたとお孫さんのふたりだけですか? 表で荷馬車をひいている男の人は?」
「彼は、ただの雇い人です。私たちが身を落ち着ける場所が決まったら、馬車と一緒に帰します」
「しかし、我々があなた方を受け入れるのは良いとして、住む場所は、どうされます? あいにく、今は村に空き家はありませんし、土地はあっても、これから家を建てるのでは冬に間に合いません。ここいらの冬は、かなり厳しいですからな」
「村外れにある、あの小屋はどうなのでしょう」
と、マーサは隣にちょこんと腰掛けている少年を見やって、言った。
「え!? あの、兵士小屋ですか!?」
ガレットは驚いて、叫ぶように言った。
「たしかに、あそこは、空いています。しかし・・・」
それは、かつてハーガゼント王国と隣国のヴィラキア帝国との間に国境紛争があった時代、ヴィラキア兵の襲撃に備えて村を警護する兵士たちが寝泊まりしてた小屋だった。見かけは小さいが、地下には、いざという時に村人を避難させるために、広い石室が掘り広げてあった。
しかし、紛争も収まり、兵士たちが去っていった後は、放置され、村外れの目立たない場所にあるために、その存在すら忘れている村人も多かった。
「特に問題がないのであれば、ぜひあそこに住まわせてください。私も老いてはいますが目も足腰もしっかりしています。糸紡ぎでも裁縫でも、何でもできます。この子も、身体は少し弱いですが、読み書きはできますし、おとなしい子なので、悪戯をして村の皆さんにご迷惑を掛けることもないと思います」
老女の言葉に、あらためてガレットは少年を観察した。
たしかに、肌は雪のように白く、ほっそりとした体格で、村の同じ年格好の少年たちと比べると、かなり見劣りがする。そして、この年頃の子どもには珍しく、眼鏡を掛けている。そのレンズの奥からガレットの視線を見返す緑色の瞳には、大人っぽい知性の光が感じられた。
(こりゃあ、かなり賢い子どもに違いないわい。事と次第によっては、村のガキどもに読み書きや計算を教えさせることができるかも知れないな・・・)
たしかに、学校らしい学校もなく、子どもの教育はそれぞれの家庭まかせになっていることは、村でも問題になっており、村長も頭を悩ませているところだったのだ。
「わかりました。わしとしては、おふたりがこの村に住むことに異存はありません。最終的には、今度の村役人の寄り合いで決めることになりますが、まず問題ないでしょう。クルスリーブ村へようこそ!」
その時、家の奥からガタン!と音がした。
ガレットが素早く振り向く。
「こら、ゲラン! こそこそと覗き見なんぞ、するもんじゃない! 出て来い!」
ガレットに一喝されて、がっちりした体つきの少年が、奥の部屋から現われた。年齢は、マーサの孫と同じくらいだが、身体はひとまわりもふたまわりも大きい。もっとも、マーサの孫の体格が、平均をかなり下回っていることもあるのだが。
ガレットは、照れ笑いを浮かべながら、紹介する。
「わしの長男のゲランですじゃ。将来はわしの後を継いで村長になろうというのに、勉強もせず遊び回ってばかりで、困ったもんです。マーサさん、あんたのお孫さんと足して2で割れば、ちょうどいいと思いますがね、はっはっは」
そして、ゲランを振り向き、言う。
「ちょうどいい。紹介しておくぞ。今度、この村に住むことになった・・・あ〜、そう言えば、まだお孫さんの名前を聞いておりませんでしたな。ぼうや、名前は何て言うんだい?」
問い掛けられた少年は、右手で眼鏡の位置を整え、真っ直ぐガレットを見返して答えた。
「パロスです。よろしくお願いします」


「へえ、パロスさんって、ご先祖様と同じ名前なんだ」
ここまで話を聞いていたリルミスが、不思議そうに言う。
パロスは、2杯目のハーブティーを口に運びながら、つまらなそうに答える。
「私の一族では、男性の長子は先祖伝来の同じ名前を名乗ることになっているのですよ」
「ふうん。じゃあ、お父さんもおじいさんも、パロスって名前なの? 一緒に住んでたら、こんがらがっちゃうね」
リルミスは、くすっと笑った。
「そういうことになりますかね。でも、問題は全然ありませんよ」
「そうかなあ」
そこへ、バーセルが割り込む。
「こらこら、まだ話は終わっちゃいないぞ。これからが大変なんだ」
「はいはい」
と、リルミスはお茶のお代りを注ぐ。
バーセルは、話を続けた。

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