エリーがカスターニェの長旅から帰ってきたのは、春だった。
その傍らには、見慣れない男がいた。
いかにも冒険者という風情の、顔に傷のある男。
だが陰惨とした雰囲気は微塵もない。明るく、温かい笑みを始終浮かべている。
ルーウェン・フィルニールというのがその男の名前だった。
人懐こく握手を求めてきた彼の手を握った時、訳もなく、武闘大会を理由にカスターニェへの同行を断ったことを後悔したのを覚えている。
彼は既に、エリーの兄に対するような信頼を勝ち得ていた。・・・それを、実感したからかもしれない。
「・・・くそっ!」
俺はベッドの上に、仰向けに寝転がった。
「勝手にしやがれ・・・」
横向きになり、腕に顔を預ける。
「わかんねえよ、女ってやつは」
エリーとノルディスと3人で、久々に採取に出かけたのは、夏だった。
ストルデル川の岸辺でキャンプした日、水を汲んで戻ってみると、エリーとノルディスがなにやら近寄り難い雰囲気の中、話をしていた。
首を振るエリー。ノルディスはため息をつくと、握っていた手を放し、慰めるように泣いている彼女の肩を叩いた。
「ごめんね、ごめんね」というエリーの声が聞こえた。
「謝る必要はないよ。僕の方こそ、困らせてごめん。本当は君が誰を見てるかってことくらい、わかってたんだけど・・・。ただ、聞いておいて欲しかったんだ。そうじゃないと、僕も先に進めないから」
風の向きが変わり、そんなセリフが俺のところへ運ばれて来た。
・・・ノルディスは拒絶されたのだ、と察し、血が体中を駆け巡るのを感じた。
エリーはなんと言ったのだろう・・・。
脳裏に浮かんだ影を、俺は慌てて打ち消した。
コンコン。
ドアがノックされた。
俺は面倒で、ベッドに横になったままそれを無視した。
「・・・ダグラス、いないの?」
「ノルディス?」
あいつがここまで来るなんて、珍しい。
俺はしぶしぶ起き上がり、ドアを開けた。
「よう。なんか用か?」
「なんか用か、じゃないよ」
・・・これまた珍しく、怒っているらしい。
エリーがルーウェンとロマージュを連れ、東の大地へ採取に行ったのは、秋だった。
帰って来たロマージュは、飛翔亭で酒を飲んでいた俺に意味深な顔をして近づくと、
「ねえ、聖騎士の坊や。ルーウェンったらエリーちゃんのこと、相当お気に入りみたいよ・・・どう思う、あの二人?」
と言った。
「そんなん俺の知ったこっちゃねえよ」
ロマージュは俺の顔を見て、なぜか笑っていた。
俺はむかっ腹が立って仕様がなかった。
「エリーが来ただろ」
ノルディスの言葉に、俺は頷いた。
「ああ・・・ご丁寧にも、わざわざご報告に来てくれたぜ」
俺はふい、と横を向いた。
俺の部屋がためらいがちにノックされたのは、今日の午前中。ドアを開けると、冬の寒さに息を白くしたエリーがそこに立っていた。
「おはよう。寒いね、ダグラス」
「おう、なんか用か?」
エリーは少し困ったように微笑んだ。
「あの、ね・・・話があるんだけど」
「じゃあ入れよ、寒いだろ」
「うん・・・」
エリーは俺のすすめた椅子に腰掛け、俺はベッドに腰掛けた。
「で、話ってのはなんだ?」
エリーはきゅっと唇を噛んで目を泳がせていたが、思い切ったように俺を見て言った。
「ルーウェンさんにね、一緒に旅に出ないかって、誘われちゃった」
「・・・は?」
俺は唐突な話にあっけにとられた。
「ルーウェンさんの生き別れの家族が見つかりそうなんだって」
「それで、なんでお前が?」
「家族に会えたら、そのままもうここには戻ってこないかもしれないから、だから、一緒に来て欲しいんだって・・・」
エリーは赤くなってうつむいた。
「どうしよう」
「どうしようって・・・」
俺は混乱していた。ようするに、プロポーズされたってことか?
「しかも、急なんだけど・・・今日の夕方には出立するって言うの。ね、ダグラスは、どう思う?」
どうしてそんなことを俺に聞かなくちゃならないんだ。どうしてそんなことを俺が聞かなくちゃならないんだ。
なんて残酷なことをする奴だ。
俺は無性に腹が立った。
「・・・エリーはどうなんだよ」
「わたし・・・は」
エリーは膝元で、両手をきゅっと握り締めた。
「ダグラスが行ってもいいって思うんだったら、行くよ」
何を言ってやがるんだ、こいつ?
「なんだよ、行きたいんだったら行けばいいじゃねえか」
「ダ、ダグラスは・・・」
エリーは顔を上げた。
「わたしが行っても、平気なの?」
「何ごちゃごちゃ言ってんだよ。したいようにすればいいだろ!俺の知ったことかよ」
俺は怒って視線をそらした。
かたり、と椅子を立つ音がしたが、俺はエリーの方を見なかった。
「わたしは・・・」
「これ以上聞きたくねえよ。お前のぐじぐじに付き合ってるヒマはねえんだ。帰れ!」
「・・・・・・・・・・」
エリーはしばらく立っていたが、
「帰るね」
ぽつりと呟いて、部屋を出て行った。
俺はとにかく腹が立って腹が立って・・・どうにかなりそうだった。
「エリー、旅支度してるよ」
ノルディスの言葉に、苦いものがこみ上げてきた。
「そうか」
「そうか、じゃないだろ!」
ノルディスは俺の胸元を掴んだ。
「どうして止めないんだ!」
「エリーが決めたんだったら、仕方ねえだろ!」
俺はノルディスの腕を振り払った。が、ノルディスはひるまない。
「何つまらない意地を張ってるんだ?」
「意地なんて張ってねえよ!俺は・・・!」
エリーの言葉がよみがえる。
“ダグラスが行ってもいいって思うんだったら、行くよ”
あいつは自分で「行く」という選択肢を口にした。あの男に付いていく気がないのなら、そんなこと言うはずねえだろ?
「あいつの幸せを邪魔する権利なんてねえよ」
「なにを怖がってるんだ」
俺はノルディスの思いがけない言葉に眉根を寄せた。
「怖がって・・・?」
「ああ、怖がってる。自分を守ることに必死で、エリーのことなんかなんにも見えてない。全く、僕が買いかぶってたよ。こんな奴のために、身を引いたとはね」
「俺のために・・・?」
「あ、いや、エリーのためだな・・・。とにかく、僕は戦って負けを認めた。でもダグラスは戦ってもいないじゃないか。そんなんで、聖騎士を名乗る資格があるのか?」
・・・少し、衝撃を受けた。
弱っちいおぼっちゃんだと思っていたノルディスが、俺よりよっぽど男らしいことに気付く。
言っていることは回りくどくてはっきりしやがれという感じだが、言いたいことはなんとなくわかる。
俺はエリーに、一度も明確な気持ちを告げてはいない。
いつか、武闘大会で優勝したら。そう思っていた。・・・でも俺はただ、逃げていたのかもしれない。
俺はノルディスの肩に手をかけた。
「ノルディス・・・」
ノルディスは俺の目を見ただけで、俺の決意を察したらしく、続く言葉も聞かずに微笑むと、俺の背中を叩いた。
「早く行けよ。エリーは工房だ」
俺は頷き、駆け出した。