翌日も、空は青く晴れ渡っていた。
刷毛ではいたような一筋の雲が、北に向かってまっすぐに伸びているのが見える。
それはまるで、3人の旅人をいざなっているかのようだった。
しかし、ノルディスもアイゼルも、空を見上げたところで心が晴れるわけでもなかった。
昨夜は、安眠香の力を借りてなんとか眠ったものの、心労が重なり、今朝になってもふたりの顔色は悪かった。
それでも、じっと待っているだけではなく、誘拐された娘を救い出すためになんらかの行動が取れるということで、
昨日よりは気分が落ち着いていた。
今、ふたりは粗末な荷馬車の荷台に積み上げられたわらの上にゆったりと座り、馬車の揺れに身をまかせている。
付近の農民が長旅をする時に使う、ごく普通の一頭立ての馬車だ。御者席で手綱を握るのは、むろんダグラスである。
ダグラスも、今回は重い聖騎士の鎧を脱ぎ、ごく平均的な旅人の服装をしている。
ただし、戦闘用の皮鎧と聖騎士の剣だけは、敷きわらの下に隠してある。
また、ノルディスが雇っている虹妖精のピノットも、この旅に同行していた。
彼がいれば、妖精の連絡網を使って、すぐにザールブルグと連絡が取れるのである。
あたりを行き交うのは、旅の商人や近隣の農民たちが多く、時折、剣を下げた冒険者姿にも出会う。
このあたりはまだ、一面の平野で、ところどころに小さな森が点在するほかは、畑と荒れ地が半々といった風景が広がっている。
馬車は、街道を北東に向かってがたごとと進んでいった。
旅も3日目に入ると、あたりの様子が変わってきた。
農地は次第に姿を消し、街道は林の中を抜ける曲がりくねった道になってくる。
林といっても、ザールブルグ近辺の森とはかなり違っている。
例えばヘウレンの森などは、下草やツタがからみ合ううっそうとした森になっているが、
このあたりの森は、まっすぐに天を指して伸びる杉の木などの針葉樹を主体とした、見通しのいい森であった。
ここはもうすでに、カリエル王国の領内だった。
シグザール王国が平地の国で、ザールブルグが平原の真ん中に作られた城塞都市だとすれば、カリエル王国はまさに森の国だった。
森を切り拓いて、木こりの小屋が建てられ、それが中心となって村となり、町となっていく。
街道を旅していても、そこここから木こりの斧の音、木が倒れる音が響いてくる。
手綱を取りながら、ダグラスが言う。
「この分なら、夕方にはカリエルの王都に着くぜ。そうしたら、俺が情報を取ってくる。
アルフレッドのやつの尻を2、3発けり飛ばしてやれば、どんな情報だって入って来るさ」
それを聞いたノルディスが、眉をひそめる。
「今、アルフレッドって言ったよね。それって、もしかして・・・」
アイゼルも口を揃える。
「カリエル王国の王子様の名前じゃないの?」
ダグラスは涼しい顔で、
「おう、よく知ってるじゃねえか。ガキの頃、あいつは俺の子分だったんだぜ。
うに合戦で本気になって傷だらけになったり、納屋の屋根から飛び降りて馬糞の山に頭から落っこちたり、いろいろやったもんさ」
あきれたような、感心したような表情で顔を見合わせるノルディスとアイゼル。
「ま、アルフレッドのやつがだめでも、酒場へ行きゃあ、昔の子分がごろごろしてるからよ。
大船に乗ったつもりで、どんと任せておけって」
「ダグラスって、本当に、生まれついてのガキ大将なのね」
その間にも、馬車はたゆまず森の中の道を抜けて行く。
ダグラスの予感は、見事に的中した。
アルフレッド王子に会うことは、目立ち過ぎるのでやらなかったものの、
宣言通り、ダグラスは1日で集められるだけの情報をすべて集めてしまっていた。
「どうやら、今、売り出し中の盗賊団が、カリエルの南部にいるらしい。
北の方の取り締まりが厳しくなったんで、南の方へ移動して、ついでにザールブルグまで手を伸ばしたってことらしいな」
宿屋の寝室の片隅のテーブルに地図を広げ、ダグラスが指し示す。
「そして、今のところ、やつらのアジトはこのあたり・・・おそらくはフォレスタル洞窟だ」
ノルディスとアイゼルは、地図を見て真剣にうなずく。そこに、かれらの愛する娘が捕えられているのだ。
「で、作戦は?」
意外なほど静かな声で、ノルディスが尋ねる。アイゼルのエメラルド色の大きな瞳が、その横顔を見つめている。
「ああ、明日の昼過ぎに決行だ。俺の指示通りに動いてくれりゃ、たぶんうまくいく」
「え、昼過ぎ?」
「そんな、白昼堂々とですか?」
ノルディスもアイゼルも眉をひそめる。ダグラスはすまして答える。
「ま、素人はそう思うだろうな。誰だって、早朝か夜がいいと思うだろうよ。
ところがどっこい、やつらもそう考えてるのさ。
やつらにとっても、早朝や夕方は襲われやすい時間帯だからな、かえって警戒が厳重になるんだよ。
その点、昼過ぎなら、飯を食った直後で、やつらも油断してる。
それに、“仕事”に出かけてる連中もいて、手薄かも知れねえしな。わかったかい」
ふたりとも、黙ってうなずく。
「よし、それじゃ、作戦の説明だ。
天気が良ければ、やつらの大部分は、洞窟の外の広場で火を焚いて、そこで食事をしている。
人質は洞窟の中だろうが、中にいる見張りは、いいとこふたりくらいだろう。
そこでだ、まずアイゼル、あんたの爆弾で、外にいる連中の注意をそらす。
その隙に、俺とノルディスが洞窟に飛び込み、俺が見張りの連中を片づけている間に、ノルディス、あんたが赤ん坊を助け出すんだ」
ダグラスは言葉を切り、ふたりの顔を交互に見る。
「その時は、ふたりとも、例の指輪で姿を見えないようにしておくんだぜ」
例の指輪というのは、身につけた人を一定時間、透明にしてしまう力を持ったアイテム、ルフトリングのことだ。
ノルディスもアイゼルも、アカデミー生時代に、試しに調合してみたことがある。
その指輪を、今回ふたりとも持参して来ているのだった。
「よくわかったわ。ただ、ひとつだけ変更しなければならない点があってよ」
アイゼルが静かに言う。
「爆弾を爆発させた後、わたしも洞窟へいくわ。いいこと」
「お、おい・・・」
「危険すぎるよ、アイゼル」
しかし、アイゼルの決意は変わらなかった。
「中に入ったふたりがやられてしまったら、わたしが外にいてもどうにもならないでしょ。
わたしは、ひとめでも早く赤ちゃんに会いたいの。これだけは、譲れなくってよ」
ダグラスが、助けを求めるようにノルディスを見る。
「おい、ノル公、なんとか言ってやってくれよ」
ノルディスは肩をすくめた。アイゼルのことは、ダグラスよりもよくわかっている。
こうなってしまったら、アイゼルはてこでも動かないだろう。
「3人まとまっていた方が、逆に動きやすいかも知れませんよ」
それを聞いて、諦めたように、ダグラスがベッドにひっくり返る。
「やれやれ、なにかあったら、隊長に何て報告すりゃいいんだよ・・・。ま、仕方ないか。
あとは出たとこ勝負だ。さあ、寝ようぜ。明日は早いからな」
そして・・・。
3人は今、フォレスタル洞窟の裏側の森にひそんでいた。
ダグラスは皮鎧に身を固め、聖騎士の剣を手挟んでいる。
ノルディスとアイゼルは、いつも通りの錬金術服に木の杖といういでたちだ。
ダグラスの予想通り、洞窟の正面は木が刈られた広場になっており、火が焚かれている。
その火を囲むようにして、7、8人の人相の悪い男たちが丸太に腰を下ろしている。
盗賊団の規模としては、さほど大きなものではない。ダグラスの得た情報でも、多くて十人程度ということだった。
ダグラスの合図で、まずアイゼルがルフトリングを指にはめ、姿を消す。
これから反対側の繁みでメガフラムを破裂させ、敵の注意をひきつけようというのだ。
あとは、すべてタイミングにかかっている。
ダグラスとノルディスは、はやる気持ちを落ち着かせ、ゆっくりと二十を数えた。
突然、広場の向こう側の森で爆発音がし、黒煙が上がる。
盗賊たちは腰を浮かし、何人かがあわてたように煙が上がった方向へ走り出す。
火の周りに残った連中の注意も、完全に前方の森に向いていた。
「よし、今だ!」
ダグラスが繁みを飛び出し、木の間を縫って、素早く洞窟の入口に向かう。
ノルディスもルフトリングをはめ、姿を消すと、ダグラスを追う。
今ごろは、アイゼルも姿を消したまま、洞窟に向かっているだろう。
ダグラスは、うまい具合に外の見張りには気付かれずに洞窟に入り込むことができた。
洞窟の中の空気は乾いている。通路のそこここにランプが灯され、暗闇で迷うことはない。
それほど奥行きがある洞窟ではなかった。
土の壁に作り付けられたドアを見つけ、思い切り蹴り開ける。
跳びこみざま一回転して立ち上がり、聖騎士の剣を構えた。
そこは、洞窟の中とは思えないくらい、気持ちよく整えられた部屋だった。
中にはふたりの男がおり、突然のことに呆然と立ちすくんでいる。
ダグラスは、自分の背後を誰かが通り過ぎようとするのを感じた。たぶん、ノルディスかアイゼルだろう。
部屋のいちばん奥に、わら敷きのベッドがあり、布にくるまれた小さななにかが寝かされているのを、ダグラスはとらえた。
相手に立ち直る暇を与えず、ダグラスは近くにいた方の盗賊を、剣の平たい部分で殴り倒した。
いざという時になるまで、相手を殺すつもりはない。
しかし、ついているのはここまでだった。
残ったひとりの盗賊が大声をあげ、それに応えるように、部屋の奥のドアからひとりの小柄な盗賊が飛び出して来た。
その男はあっという間に赤ん坊のベッドにたどりつくと、右手に握った短剣を赤ん坊に向かって振りかざした。
さらに悪いことが起こった。
ルフトリングの効力が切れ、ベッドに向かおうとしていたノルディスと、
部屋の片隅で立ちすくんでいるアイゼルの姿がはっきりと見えてしまったのだ。
凍りついたように、すべての動きが止まった。
「そこまでだ、若いの」
外から部屋に入ってきた、大柄で年かさの盗賊が、どっしりとした声を放った。
ダグラスが剣を構えたまま、舌打ちする。
「お前が、ここの親玉か」
盗賊はそれには応えず、動きの止まった3人をねめつけるようにながめ、アイゼルに目をとめると下品な口笛を吹いた。
「こいつあ驚きだ。若え娘さんまで押し込み強盗の一味にいるとはな。
大方、シグザールの騎士隊の差し金で、王女様を取り返しに来たんだろうが、残念だったな。
おまえらの運もここまでだ。・・・おい、ふん縛っちまえ!」
その時、ベッド脇にいた小柄な盗賊が、甲高い声で叫んだ。
「その必要はないよ!」
そして、無造作に短剣を振り下ろした。
「きゃああっ!」
アイゼルが悲鳴を上げ、手で顔をおおう。
だが、盗賊の短剣は、赤ん坊をベッドに縛り付けていたなわを切断しただけだった。
そして、赤ん坊を抱き上げると、その盗賊は身軽な動きでダグラスの背後に隠れるように立った。
盗賊の頭領の目が、信じられないものを見たかのように細められる。
「おい! どういう了見なんだい、てめえは!?」
それに応えて、左手で赤ん坊を抱いた小柄な盗賊は、甲高い笑いを響かせた。
「どういうことって、こういうことさ!」
そして、右手で薄汚れたかつらとマスクを引きはがす。
下から現われたのは、赤紫色の髪に大きな鳶色の瞳をした、若々しい女冒険者の顔だった。
「誰だ! 何ものだ!?」
「そういやあ、自己紹介がまだだったね。こちとら、盗賊稼業じゃおまえさんらよりもよっぽど年季を積んでるんだ。
よおく見知っときな!」
威勢よく啖呵を切ると、右手にはさんだカードを飛ばす。
カードはブーメランのように宙を舞うと、親玉の鼻先の土壁に突き刺さった。
そこには、真っ赤な文字で大きく、
「怪盗デア・ヒメル参上!」
と書かれていた。
「ナタリエじゃねえか・・・。いったい、なんで・・・」
ようやく我に返ったダグラスが、盗賊から目を離さずに、声だけで尋ねる。
元怪盗デア・ヒメルこと冒険者のナタリエ・コーデリアは、笑いながら、
「あんたの隊長・・・エンデルクの旦那に頼まれてね。2、3日前から変装して忍び込んでいたのさ。
あんたらが来るはずだから、いざとなったら助けてやってくれ・・・ってね」
聞いたダグラスが、あんぐりと口を開ける。いまだ茫然と見守っている、ノルディスとアイゼル。
「ちっくしょう・・・。よっぽど、俺は隊長に信用されてねえんだな」
「さ、話は後だ。あんたの出番だ。遠慮は要らないよ、やっちまいなよ」
「おっと、それもそうだ」
と、ダグラスは剣を握り直し、にやりと笑った。
こうなっては、盗賊団もダグラスの敵ではない。
あっという間に、殴られ、気絶させられてしまう。
丸太のように倒れている頭領の身体を剣先でつつきながら、ダグラスが言う。
「だけど、まだ終わりじゃねえぞ。外の連中はどうする?」
「たぶん、外も片がついてるはずだよ」
と、ナタリエは鋭く2回、口笛を吹いた。
外からも、かすかな口笛の音が返ってくる。
「ほら、やっぱりだ。援軍も、ばっちり時間通りに着いたみたいだね」
「お、おい、援軍って・・・」
「ま、出てみりゃわかるよ」
ナタリエは、赤ん坊を抱いたまま、先頭に立って洞窟の外に向かった。
フォレスタル洞窟の外の広場は、すっかり静まり返っていた。
明るい陽光の下へ出て、目をしばたたかせた3人が見たのは、なわでぐるぐる巻きにされ、地面に転がされた盗賊たちの姿だった。
そして、その向こう側にたたずんでいるのは、奇妙な形の杖を持ち、錬金術服に身を固めた、ふたりの女性だった。
「やっほー、久しぶりね〜、みんな、元気ぃ!?」
そのうちのひとり、長い金髪を丸い髪飾りで束ねた女性が、明るい声で叫ぶ。
ノルディスは、目を見張った。
目をこすったアイゼルが、信じられないという声で叫ぶ。
「エリー!・・・それに、マルローネさん!」
「アイゼル!」
もうひとり、オレンジ色の錬金術服を来たエリーが駆け寄る。アイゼルとエリーはしっかりと抱き合った。
「心配したんだよ、アイゼル・・・。でも、間に合ってよかった・・・」
「でも、どうして・・・。エリーたちが、こんなところに・・・」
まだ茫然としているノルディスに、マルローネが答える。
「ピコの妖精連絡網を通じて、エンデルク様から連絡があったのよ。それで、急きょ旅を中止して、戻ってきたってわけ」
「でも、ふたりはずいぶん遠くにいたはずでは・・・」
「そうよ。連絡を受けた時には、エル・バドールの西にいたわ」
「それなのに、なんでこんなに早く・・・?」
「うふふ、あたしたちが、何もせずに1年もほっつき歩いてたと思ってるの? エリー、見せてあげなさいな」
マルローネの声に、アイゼルから離れたエリーは、お世辞にもきれいとは言えないじゅうたんを広げてみせた。
「わたしとマルローネさんで共同開発したオリジナル調合、『空飛ぶじゅうたん』よ。これに乗って、ひとっ飛びで来たのよ」
「あとは、簡単だったわ。
下にいた盗賊どもを、あたしのオリジナル調合、『元気な生きてるナワ』で、次々に縛り上げちゃったってわけ」
「マルローネさんのナワは、ちょっと元気が良過ぎたけどね」
エリーが付け加える。
言われてよくよく見れば、縛られた盗賊たちのむき出しになった腕や頬に、真っ赤なみみず腫れが浮き出ている。
ナタリエが、そっとため息をついた。
「やれやれ、あたしが『飛翔亭』で捕まった時に、こんなのができてなくて良かったよ・・・」
「このじゅうたんは、ノルディスとアイゼルにあげるよ。これに乗って、一足先にザールブルグへ帰ったらどう?
ふたり乗りだけど、赤ちゃんと一緒でも大丈夫だし」
エリーが言う。
「おいおい、俺はどうなるんだよ」
とダグラス。
「せっかくカリエル王国に来たんだもの。ダグラスに、いいところをうんと案内してもらわなくちゃ。
エンデルク様も、構わないって言ってくれたし」
「大賛成! 美味しいものをたくさん食べましょう!」
「勘弁してくれよ。おまえらふたりを相手にしたんじゃ、身がもたねえよ・・・」
1年前のエアフォルクの塔での事件の時のことを思い出したのか、ダグラスがげんなりした声を出す。
ひとしきり笑った後、ナタリエが、急に気がついたように、
「そうだ、大切なものを預かりっぱなしだったよ。返してあげなきゃね」
と、腕の中の赤ん坊をノルディスに差し出した。