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●2000.10.23 ○に様寄贈作品●


遥かなる空


 プロローグ ノルディス

それは、雲に乗って、空中をふわふわ漂っているような、そんな感覚だった。
まわりのすべてが、霧がかかったかのようにぼうっと霞んで見える。
控え室で、華やかな婚礼衣装を身に着けはじめた時から、そんなふうに感じていた。
家族や親戚、大勢の友人たちが花びらや紙ふぶきを撒いて迎える中を、教会の通路に足を踏み入れて・・・。 ただ、左手でそっと握った彼女の汗ばんだ手のひらだけが、ぼくを現実につなぎとめてくれていた。

その日、たしかにぼくらは主人公だった。
ぼく個人としては、地味にやりたかったのだが、相手が貴族のお嬢様とあっては、 町をあげての華やかなお祭り騒ぎになるのもしかたないことなのかも知れない。 なにしろ、ブレドルフ王まで招待するというのだから・・・。
でも、友人たちの祝福は、何にもまして嬉しいものだった。
究極の錬金術を求めるという遠い旅を中断して、戻って来てくれたエリーとマルローネさん。 マルローネさんは、同じ馬車で着いたクライスさんと、相変わらずなにやらやりあっていたっけ。
イングリド先生とヘルミーナ先生は、秘伝の錬金術で咲かせたという虹色の花束を贈ってくれた。 「わたくしの花の方が美しいわよね」と、異口同音にきかれて、答えに困ってしまった。
「にくいぜ、こんちくしょう!」と、思い切り背中をどやしつけてくれたダグラスの手荒な祝福にも、温かみがこもっていた。
彼女が手にしているブーケは、フレアさんの手作りだ。 2年前に家を出て、ハレッシュさんと暮らしていたフレアさんだが、つい先日、子供を連れてザールブルグに戻ってきたのだ。
この後の披露パーティでは、ロマージュさんが『祝福の舞』を踊ってくれるという。 パーティでの酒の提供は、もちろん『飛翔亭』だ。 カスターニェのユーリカから届いた、新鮮な海の幸も山のように供されるという。 ただ、武器屋の親父さんの歌だけは、遠慮してほしいと思う。

そして、ぼくらは今、神父様の前にふたりで立っている。
荘厳な、パイプオルガンの音色が流れる。弾いているのはミルカッセさんだ。
一段高い説教壇に立ったフローベル神父の口から、つぶやくように、言い聞かせるように、言葉が流れ出て来る。 その言葉は、霞んだ頭の中を耳から耳へ通り過ぎるだけで、意味をなさない。
しかし、神父様の言葉がとぎれた時、ぼくは「はい」と返事をし、しっかりとうなずいていた。
今度は、神父様が同じ内容の言葉を彼女に伝える。彼女も、かすれた声ながらもはっきりと答え、こくりとうなずく。
ふたたび正面に向き直ると、神父様は落ち着いた声で、なにか言葉を告げた。
今、何と言ったのだろう?
・・・誓いの・・・?
ぼくには、やらなければならないことがわかった。
そっと左を向き、彼女の手を取る。やさしく身体を引き寄せ、右手で彼女のヴェールをそっと押しあげる。
彼女は顔をあげ、ぼくと目が合う。その大きなエメラルド色の瞳から、真珠のような涙の粒がこぼれ、頬をつたう。 ふっくらとした、形の良いピンク色のくちびるが、かすかにふるえている。
やがて、彼女は目を閉じ、身体をあずけてくる。ぼくも目を閉じ、その身体を抱き寄せる。
誓いのくちづけを交わす時、ぼくは心の中でささやいていた。
(これからも、ずっと一緒だよ、アイゼル・・・)

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