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 Scene−3

ザールブルグは、本格的な冬に突入していた。
王室主催の武闘大会を数日後に控え、街もざわめき、浮き立っているように見える。
街を訪れる旅人の数も目立って増え、その分、中央広場の噴水へ投げ入れられる銀貨の数もいつになく多い。それはすなわち、寒風の中で拾い集めるクルトの作業が大変になるということだ。
だが、クルトの心は高揚していた。
先日、クルトが銅貨を与えた老婆は、『職人通り』のヨーゼフ雑貨店に住み込みで働くことになったらしい。本人に会ったわけではないが、教会に来た『職人通り商店会』のお偉方が父親と話しているのを小耳に挟んだのだ。ヨーゼフ雑貨店を切り盛りする若夫婦には子供が生まれたばかりなので、とても助かっているという。
それに、あと1週間ほどで、新年がやって来る。そうすれば、修行も終わりとなり、神父見習いとして正式に認められ、聖職者の白いローブを身にまとうことができるのだ。だから、クルトはより一層身を入れて、修行に取り組んでいる。
武闘大会が近づいているため、夜中近くになっても中央広場周辺には冒険者がたむろし、治安を維持するために騎士隊の巡回も増えている。そんな中、なるべく人目にふれぬよう回収作業をするのは、なかなか神経を使うことだった。一度など、事情を知らない旅人に賽銭泥棒と見咎められて、騎士隊に通報されてしまったこともある。
今夜も、普段よりも営業時間を延ばした酒場のざわめきが聞こえてくる中、クルトはいつものように泉水へ向かった。酒場がはねる直前の時間帯の方が、人通りは少ない。まっとうな者はとっくに宿や自宅に引っ込んでいるし、酒飲みは酒場の看板までねばっている。ここ何日かの経験から体得した事実だった。 泉水には、うっすらと氷が張っていた。竹ざおの先で氷を砕き、ランプの灯りを頼りに、沈んでいる小銭を竹ざおで、手の届くところまで引き寄せる。ある程度集まったら、身を乗り出して銀貨や銅貨を拾い上げ、布で包んで水気を切った後、かごに収める。水は手が切れるように冷たく、作業の合間に息を吹きかけて暖めるのだが、両手はすぐに冷え切ってしまう。
しかし、弱音を吐くこともなく、クルトはただ黙々と単調な作業を進めていた。
今夜は空は晴れ渡っており、“アルテナの星”がくっきりと見える。気分的なものかもしれないが、雲って星が見えない晩よりも、星空の下、アルテナ様に見守られて行う方が、作業がはかどるのだった。
円形をした噴水の周囲を周りながら、次々と小銭を引き上げていく。
そろそろ終りだな、と思った時に、背後の闇からなにかが飛び出してきて、クルトの足にぶつかった。
「え?」
思わず手を伸ばすと、ふわふわと柔らかく、暖かな感触が伝わる。毛におおわれた球のようだ。
だが、それは生きていた。両手で抱き上げると、小さな心臓の鼓動が伝わってくる。雪のように白い身体はぶるぶると震え、赤い目は怯えたようにきょろきょろと絶え間なく動く。
「子うさぎだ・・・。どうして?」
疑問に思う間もなく、路地からふたつの影が歓声をあげて飛び出してきた。クルトのランプに照らし出されたのは、やや年かさの少年だ。武闘大会や夏祭りの前などは、大人たちも浮き立つ分、子供への締め付けや干渉も緩くなる。そのため、子供の夜遊びも大目に見られるのだ。この少年たちも、祭りの前に羽目を外したがる部類の子供なのだろう。ふたりとも、棒切れを持って、息をはずませている。
ひとりがクルトに近づき、乱暴な口調で聞いた。
「おい、うさぎが逃げて来なかったか?」
クルトはきゅっと身が引き締まるような思いをしながら、黙って目を見開き、相手を見つめていた。
腕に抱いたうさぎも、危険を悟ったのか、身を縮めている。この少年たちが、いたずら半分にいたいけな子うさぎを追いかけ回していたのは明らかだ。手渡したら、何をされるかわからない。
「何だ、そこにいるじゃねえか。そのうさぎは俺たちのだ。よこしな」
もうひとりが、にやにや笑いながら手を伸ばす。クルトは身を引いた。
「渡したら、どうするつもりなの?」
答えはわかっていたが、クルトはあえて尋ねた。ちらりと夜空を見上げ、“アルテナの星”を探す。
赤い穏やかな光が、勇気付けるようにまたたいている。
「うん? 決まってるだろ、仲よく遊ぶのさ」
「そうとも、可愛がってやるよ」
クルトは、ふたりの顔を思い出した。いつも裏通りや路地にたむろしている悪童の仲間だ。
「いやだ。この子は、きみたちを怖がってる。だから、渡さない」
クルトはきっぱりと言った。しかし、やはりボーイソプラノの声は震えている。
「ふうん、言ってくれるね」
少年のひとりが、ねめつけるようにクルトを見た。
「じゃあ、おまえも一緒に可愛がってやろうか」
もうひとりは、棒切れを自分の手のひらに叩きつけ、これ見よがしに乾いた音を立てる。
クルトは進退きわまった。殴り合いはおろか、遊びで騎士隊ごっこをしたこともない。走って逃げても、すぐに追いつかれれてしまうだろう。それに、集めた銀貨を捨てて逃げ出すわけにもいかない。
その時、クルトと同じようなボーイソプラノの声が響いた。
「やめろよ」
いつかと同じだな、とクルトは不思議と冷静に考えた。でも、あれはハインツさんじゃない。
現れたのは、ひょろりとやせた金髪の少年だった。年齢は、クルトと同じくらいだろうか。
「弱いものいじめはやめろ」
金髪の少年は、もう一度言った。悪童ふたりは向き直ると、あきれたように言った。
「なんだい、弱虫のウルリッヒじゃねえか」
「また殴られたいのかよ」
ウルリッヒは、熱のこもった口調できっぱりと言う。
「ああ、殴りたければ、殴れ。しかし、その子には手を出すな。ぼくが身代わりになる」
「ちょ、ちょっと・・・」
クルトが口をさしはさむ暇もない。
「上等だ!」
「いいかっこしやがって! 弱っちいくせに、生意気なんだよ」
少年ふたりは、ウルリッヒに殴りかかった。
加勢をしようにも、クルトはどうしていいのかわからない。動こうとすれば、うさぎが逃げてしまう。逃がしたら、またあの悪童どもが見つけて、捕まえてしまうかも知れない。
けんかは、あっという間に終った。抵抗しないウルリッヒをいいようにいたぶると、気が済んだのか、悪童たちはクルトや子うさぎに見向きもせず、どこかへ行ってしまった。
クルトはあわてて、うつ伏せに倒れている金髪の少年に駆け寄る。
「だいじょうぶ? ごめん、ぼくたちのために――」
「ふん、だいじょうぶさ」
少年はあちこちをさすりながら起き上がると、乱れた髪を整えて、にっこりした。
「ぼくは、いつもあいつらにいじめられて、慣れているからね。それに、あいつらの殴り方はへたくそだから、うまくよけてれば、ほとんどダメージはないよ」
「ふうん、すごいなあ」
クルトは目を丸くした。教会で暮らしているという特殊な生活環境のため、クルトは同じ年頃の子供とあまり話したことがない。
「でも、どうしてこんな夜遅く、外にいたの?」
まさか、あの少年たちと同じように、悪さをするためにうろつきまわっていたわけではあるまい。
「きみこそ、どうして?」
問い返されて、クルトは正直に話した。父親からは、修行の中身についてべらべら他人にしゃべるものではないと注意されていたが、ウルリッヒは大げさに言うなら命の恩人である。
「そうか、神父様になるっていうのも、大変なんだなあ」
ウルリッヒは大きくうなずいた。
「ぼくも、修行をしていたのさ。強くなるためにね」
「へえ、強くなるために・・・?」
「うん、大きくなったら、騎士隊に入って、聖騎士になりたいんだ」
「でも・・・」
クルトはまじまじとウルリッヒを見た。背丈はクルトよりも高いが、身体の線は細く、クルトの方がたくましく見えるほどだ。それに、いつも教会の窓からながめるシグザール王室聖騎士隊は、どの騎士もたくましく鍛え上げられた身体の持ち主だ。目の前にいるひょろりとした少年が聖騎士の蒼い鎧をまとった姿など、想像もできない。
クルトの心のうちを読んだかのように、ウルリッヒが笑みを浮かべる。
「ああ、今のぼくは、まだまだ弱い。でも、小さい頃は、もっと弱かったんだよ。病気ばかりしてね。でも、それじゃいけない、強くなりたいと思って、一生懸命身体を鍛えたんだ。これからも、鍛錬次第で、もっと強くなると思うよ」
「そうか・・・。聖騎士になれるといいね。ううん、きっとなれるよ!」
「ありがとう。きみも神父さんになれるよう、お祈りするよ」
ふたりは笑い合った。
ふと、クルトが手の中でうごめく暖かな小動物に気付く。
「そうだ、このうさぎ、どうしよう?」
「野うさぎじゃないみたいだね。人に慣れている」
ウルリッヒは、ランプの灯の中で身体を丸くしている白うさぎをしげしげとながめた。
「どっちの方から逃げてきたか、わかる?」
「ええと・・・」
クルトは考え込んだ後、東南の方角を指差した。
「ぼくがこの場所にいた時に、後ろから走って来たはずだから、たぶんあっちだよ」
「『職人通り』の方だね。よし、ぼくに心当たりがある。よかったら、一緒に行こう」
「わかった。ちょっと待ってて」
うさぎをウルリッヒに預けると、クルトは残りのコインをかき集め、かごに入れて教会に運び込んだ。これで、今宵の義務は果たした。ウルリッヒのところへ戻る。ウルリッヒも動物好きなのだろう、上手にうさぎを抱き、うさぎも安心して彼の手に身をゆだねている。
「よし、行こう」
クルトのランプの灯りを頼りに、ふたりの男の子は『職人通り』へと向かった。


「さあ、こっちだよ」
ウルリッヒは、うさぎを抱いたまま、木箱の山や酒樽を伝って、身軽に上って行く。狭い路地に積み上げられた雑物を乗り越え、何度もつまずきながら、息を切らしてクルトも続く。
「よし、着いたぞ」
ウルリッヒの言葉にあたりを見回すと、そこはどこやらの2階のテラスのようだった。テラスとは言っても、貴族の屋敷のように鉢植えや彫像で飾り立てられているわけでもなく、雑多な箱や袋、なにやら得体の知れない置物など、がらくたとしか思えないものが所狭しと積み重ねられている。
「まだ起きてると思うんだがな」
ウルリッヒは言うと、薄い木のブラインドを何度か叩いた。
やがて、ガタンと音がして、内側からブラインドが開いた。ぼさぼさな褐色の髪をした、やせた小柄な男の子が、眠そうに顔を出す。クルトやウルリッヒよりも、多少年下だろうか。
「何だよ、こんなに夜遅く」
不機嫌そうに目をつり上げ、じろりとにらむ。ウルリッヒはそんな反応に慣れっこのようで、気にする風もなくクルトを紹介する。
「クルト、雑貨屋の息子のヴェルナーだよ。ヴェルナー、こっちは、フローベル教会のクルトだ」
教会の子だと聞いたとたん、相手の目が光った。
「ふうん、なんか珍しいものでもくれるのかい。きっと教会の倉庫には、変なものや妙なお宝がざくざくしてるんだろうな」
「へ?」
きょとんとするクルトに、ウルリッヒが説明する。
「ヴェルナーは、普通の子が興味を持つようなおもちゃや食べ物はそっちのけで、珍しい石とか変な人形とか、わけのわからないものばかり集めているんだ」
「るさいな、人の好みにケチつけないでくれよ」
ウルリッヒはクルトを振り向いて、
「いつも変なものを探し回ってるから、ヴェルナーはこのあたりの情報には詳しいんだ」
「ああ、なるほど」
そして、ウルリッヒはうさぎをヴェルナーに見せ、今夜の出来事をかいつまんで話した。
「それで、ヴェルナーならこのうさぎの飼い主について、なにか知ってるんじゃないかと思ってさ」
「ふうん・・・」
ヴェルナーはうさぎにはちらりと目をやっただけで、にんまりと笑って、クルトを見る。
「じゃあ、教えてやったら、教会の倉庫のがらくたを見せてくれないかな? 俺、一度、フローベル教会の倉庫に入ってみたいんだ。もちろん、黙ってなにか持ち出したりはしないよ」
「う、うん・・・。入るくらいなら・・・」
クルトは気圧されたようにうなずいた。幼い頃から、自分は遊び場として倉庫に自由に出入りしている。友達と一緒に入ったところで、叱られはしないだろう。
「よし、決まりだ」
ヴェルナーは笑った。
「で、これがどこのうさぎか知ってるの?」
「ああ、間違いない、ファブリック工房で飼ってるうさぎだと思うよ。あそこは何匹も飼ってるんだけど、昼間、いちばんかわいがってたうさぎが逃げちゃったって言って、カリンちゃんが大泣きしてた。親父さんが、夕方まであっちこっち聞き回ってたな」
「そうなんだ」
「よければ、置いていきなよ。明日、俺が返しといてやるよ」

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