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三、平安御息女・左大臣女洋子(さだいじんがむすめようこ)


洋子姫は扇の陰でふわりとあくびをした。美しい切れ長の目に、涙がにじむ。 袖の縁でそっと目尻を押さえながら庭を見ると、呆れるほどの良い天気だ。差し込む日の光に透けて、洋子姫の長い髪が赤く輝いている。 この細くてやや色の薄い髪は、漆黒の髪に憧れる洋子姫の、悩みの種だった。とはいえ、充分美しい姫である。人から見れば贅沢な悩みだ。
洋子姫は、もう一度あくびをした。
今日は綾姫が来ると楽しみにしていたのに、綾姫が行き触れに遭ってしまい、突然退屈な一日になってしまった。 すっかり春めいて、風も心地よい。いっそのこと、今日は昼寝にかまけようかしら。
側仕え女房の奈津(なつ)を呼んで床を用意させようかと思っていると、「洋子様」と声がかかった。
「何」
「石洋(せきひろし)様がおみえです」
「まあ、お兄様が。いいわ、丁度退屈していたところよ。お通しして」
「はい」
やがて、洋子姫の兄の石洋が現れた。石洋は右衛門佐で、浜晃と同い年の十七歳。顔立ちは面長で、女性のように美しい。身のこなしもたおやかだ。
「久しぶりだね、洋子」
「こんにちは、お兄様。今日は物忌みですの?」
「うん、そうだよ。でもこのところ忙しかったから、いい休息だ」
洋子姫は石洋が座るのを見ながら、ほうっと息をついた。
「本当に、お兄様は女に生まれればよろしかったのに。私も負けてしまいそうにおきれいなんですもの。くれぐれも、男色の輩にお気をつけくださいましね。 まあ、弱いように見えて力はあるし腕も立つので大丈夫とは思いますけれども、お兄様、ぼーっとなさってるから・・・」
「男色って・・・お前、どこで覚えたのだ、そのような言葉」
石洋は面食らった。
「綾姫さまからですわ。何でもご存知ですことよ。あの方、頭がよろしいから」
「やっぱり・・・」
「今日もおみえの筈でしたのよ。それが行き触れでだめになって」
「えっ、来ないの」
「あら、綾姫さまがおみえになること、ご存知でしたの?お兄様」
「い、いや、その・・・」
石洋はしどろもどろになってうつむいた。ふと見ると、控えている奈津が笑いをこらえている。
「奈津にお聞きになりましたのね」
「え、それは・・・」
「そういうことでしたの。お兄様は、綾姫さまのことがお好きなのね?」
石洋は図星を指されて真っ赤になった。
「いやですわ、どうも最近お兄様の物忌みが綾姫さまの訪問に重なると思っておりましたら。ずる休みなさっておいででしたの?」
「いや、それは一度だけで・・・いや、二度かな。と、とにかく今日は本当だよ」
「そうですか?でしたら、いいんですけれど。恋路の邪魔は致しませんが、公務にお差し障りのないようになさいましね」
「うん・・・それより、洋子は父上から聞いたか?」
「何をですか?」
「洋子を東宮妃にするっていう話」
「え」
洋子姫は、手にしていた扇をぽろりと取り落とした。

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