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四、平安御息女・内大臣女豊(ないだいじんがむすめとよ)


「洋子姫、来たわよ」
綾姫さまああぁ
綾姫が左大臣家を訪れたのは、その次の日だった。
「私、どうすればよろしいの?もはや私には浜晃さま以外の方など考えられませぬのに」
洋子姫は半分泣きそうな顔で綾姫にすがる。綾姫はなだめるように洋子姫の肩を叩いた。
「あたしに半年も内緒にしていたバチがあたったのね。 とにかく、そんなに取り乱さないでよ。あたしが何とかしてあげるから」
「何とかって、どうなさいますの?」
「東宮妃はいずれ必ず立たねばならないものだから、洋子姫以外の候補者が是非とも必要でしょう?一応、考えてみたの。
兄様の話では、今度のことと将来的なものを考えて年上は避けてくるだろうってことだったから、 候補者は十六歳以下の未婚の姫ということになるわよね。なおかつ、有力者の娘というと限られてくるでしょう。 そこであがるのは源大納言家の四の姫と五の姫、権大納言家の三の姫、式部卿宮家の四の姫、 右大将家の二の姫、左大将家の一の姫、治部卿宮家の三の姫、内大臣家の一の姫。
でも、源大納言家は今回御出家になられた東宮妃の御実家だから、まず無理よね。 権大納言家の三の姫は母方の血筋が良くないそうだから、東宮妃としては難しいらしいわ。 式部卿宮家の四の姫は病弱だからこれも難しいし、右大将家の二の姫は結婚が決まったと兄様に聞いたわ。 治部卿宮家の姫に至っては、十四の若さでふしだらな醜聞を漏れ聞こえさせているから、これもまず可能性はないわね。 これで残るは左大将家の一の姫と内大臣家の一の姫ということになるけれど、左大将家の一の姫は裳着を済ませたばかりの十二歳だから、 ちょっと幼いんじゃないかしら。
となると、内大臣家の一の姫が一番有力な候補者ということになる訳。年も十五、血筋も家柄もマルで悪い噂も無し」
「それで、どのようにその内大臣家の一の姫を東宮妃に?」
「これだけ条件がそろってれば内大臣も当然一の姫東宮妃を狙っているでしょう。 ここで父様を加勢させれば簡単なんだけど、左大臣に恨まれるでしょうから、そういう訳にもいかないわよね。 兄様に聞いた政治情勢からすれば、今現在は左大臣の方が内大臣より力があるわ。 これはちょっと不利ね。でも、最終的に決定するのは主上か東宮御本人でしょう。 そのお二人とも、多分一度は中宮様に御相談なさると思うのよ。
洋子姫も知ってるとおり中宮様は大の琴好きで、名手でもあられるわよね。 それで、自分で言うのもなんだけど、やはり名手と言われるあたしに目をかけて下さって、たまに季節のお歌など賜ったりするの。 そのつてでさりげなく、中宮様に内大臣家の一の姫を売り込むわ。 同時に、一の姫の協力も取り付けて、内大臣をあおってもらうの。 それから洋子姫は、仮病で寝込んで頂戴。そうすれば左大臣の気もそぞろになるし、周囲の注意を引かずにはおかないわ。
そうして皆が少し不安を抱きかけたところで、こちらで仕組んだもののけ騒ぎでも起こして噂を広めれば、 縁起が悪いということで、洋子姫東宮妃の話は消えるでしょう。態勢を立て直す前に、内大臣一の姫の東宮妃は本決まりという訳」
「まあ。綾姫さまは策士家ね。でも、そううまくいくものかしら」
「所詮あたしも小娘ですもの、完璧な作戦という訳にはいかないわ。でも可能性はあるんだから、善は急げよ。 今頃、左大臣もせっせと手を回しているでしょうからね。さ、洋子姫、出掛ける用意をして」
「えっ?!」
「内大臣家に行くのよ、もう約束は取り付けてあるから。牛車はあたしのに一緒に乗ればいいから用意しなくても大丈夫よ」
「そ、そんな急に・・・」
「兄様と別れたくなかったら、ぐずぐずしないで」
わ、別れる?いやですわ、そんなの!奈津、着替えの用意を。急いで!
洋子姫は即座に叫んだ。


小半時後、つまり約三十分後、綾姫と洋子姫は内大臣家を訪れた。
西の対の屋へ通されてまみえた一の姫は、ふっくりとしたほほのかわゆらしい、おとなしそうな姫だった。 口元の辺りに扇を当て、恥ずかしそうにうつむいている。
「突然の訪問、ご無礼かと存じましたが折り入ってのご相談の儀があり、失礼を承知で参りました。 私は右大臣が一の姫、綾と申します。こちらは、左大臣が一の姫、洋子姫様にございます」
綾姫が挨拶を述べると、一の姫は二人を交互に眺めた。
「豊と、申します・・・わたくしにご相談とは、一体、どのようなことでしょうか・・・」
不安がっているのか、消え入りそうな声でそう言うので、綾姫は安心させようと笑顔を向けた。
「豊姫様にとっても良いお話ですわ。 お父上から既にお聞き及びかもしれませんが、東宮妃がご出家なされて、変わる新しい東宮妃が必要となりましたの。 こちらの洋子姫様も候補として名前が挙がっていらっしゃいますが、事情があって東宮妃となることを望まれてはおりません。 それで、豊姫様に是非、東宮妃として後宮に上がっていただきたいと、こういう訳ですの。もちろん、お膳立てはこちらで致しますわ」
「・・・東宮妃。わたくしが・・・?」
豊姫には寝耳に水の話だったらしく、茫然と呟いた。と、にわかに青くなり、激しく首を振った。
い・・・嫌です、わたくし・・・
「なぜですの?東宮妃になれば、あなたの父君や兄君のためにもなりますのよ。 それに、兄から聞いた限りでは、東宮はとても良い方だそうですし、後宮は華やかで楽しいところだとも聞きます。 どうぞ是非、お考えになってみて下さいませ」
ところが、豊姫は予想もしていなかったことを言い出した。
わたくし、想う方がいるのです
綾姫も洋子姫も、しばらくの間ぽかんとして豊姫を見ていたが、洋子姫が先に我に返った。
「ど・・・どなたですの、まさか、浜晃さまでは?!
どこからそうなるのか、あまりにも短絡的な考えだが、洋子姫は真剣だ。今にも押し倒さんばかりの勢いで、豊姫に詰め寄る。
いかがですの、お答えになって!
豊姫は何故か、洋子姫に詰め寄られてぽっとほほを赤らめた。
やっぱり、そうですのね?!まあ、なんてこと!!
綾姫はいきり立つ洋子姫を慌てて押し止めた。
「洋子姫、落ち着いて」
これが落ち着いていられますか!綾姫さま、浜晃さまが二股をかけていらっしゃったやも知れませんのよ!!
さすがの綾姫も、恋する女の迫力には負ける。
「どなたですか、それ」
緊迫した空気を破ったのは、豊姫の間の抜けた一言だった。
「は?」
「浜晃さまなどという方は、存じません。それにわたくし、片恋ですのよ」
「浜晃さまでは、ない・・・」
洋子姫はへなへなと座り込んだ。
「それではどうして先程、頬をお染めになりましたの?」
「そ、それは・・・」
豊姫は言葉に詰まってうつむいた。綾姫ははっとして飛びのく。
「ま・・・まさかあなた、洋子姫のこと?!」
「ええーーーっ?!」
洋子姫は真っ青になった。 しかし当の豊姫は意味さえよくつかめないらしく、洋子姫の異常な驚きぶりにぽかんとしている。綾姫は、洋子姫の脇をつついた。
「ちょっと洋子姫、違うみたいよ」
「お、驚かせないでくださいまし。心臓によくありませんわ」
「あの・・・」
豊姫がおずおずと声をかけた。
「あ、質問の途中でしたわね。それで、本当のところはいかがなんですの?」
「あの、わたくし・・・洋子姫さまがあの方に似ておいでなので、つい、どきどきして」
綾姫と洋子姫は顔を見合わせた。
「洋子姫と似てるって、それじゃ、まさか・・・」
「洋子姫さまの兄君の、右衛門佐さまですの」
「えええーーーっ?!」
綾姫と洋子姫は同時に叫んだ。
「豊姫、あれはやめた方がいいわ!」
「なぜですの?」
「そ、そもそもどこで私の兄上とお会いになる機会が・・・」
「一度、わたくしの兄に用事があっていらしたときに、直前になって兄の部屋でぼや騒ぎが起きたので、こちらの部屋をお貸ししましたの。 几帳越しに拝見いたしましたら、それは優しそうで、おきれいな方でしたわ」
豊姫は思い出すようにうっとりと視線をさまよわせた。
「見かけに惑わされてはだめよ!石洋はね、ぼーっとしてて頼りなくて、細やかな気配りというものの出来ない男なの。 決断力や積極性に欠けるし、いつまでもうじうじしてるような暗いやつよ。やめなさい。絶対、やめなさい!」
「まあ、石洋さまと申されますの?」
豊姫には一向に通じない。
「綾姫さま、いくらなんでもそれはひどすぎますわ」
洋子姫は兄をけなされて憮然としている。
「もーっ、わかってないわね、洋子姫!石洋のせいで計画はおじゃんよ、唯一の有力候補が東宮妃を拒否してるのよ! 兄様と洋子姫の前途は、お先真っ暗になっちゃったのよ!」
「えっ?!」
洋子姫は青くなった。
「で、でもそれでしたら私だって拒否すれば・・・」
「兄様が表立って動けないの、どうしてだと思ってるの。左大臣は競争心の強いはりきりやさんですもの、洋子姫が兄様とのことで東宮妃を拒否すれば、 うちの父様の差し金で、左大臣家の栄華を阻まんと先手を打って、洋子姫をたぶらかしたと思い込むに違いないわ。 そうして無念の悔しさもあいまって、兄様をいじめぬくに決まってるからじゃない!」
「そ、そんな・・・」
「それもこれもあれもどれも、みーんな石洋のせいよ!おのれ許すまじ石洋!!
綾姫はいつもの猫かぶりも洋子姫のことも忘れて部屋を飛び出し、居眠りしていた牛と牛飼い童を叩き起こすと、怒りに任せて左大臣家へ牛車を走らせた。

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