小半時後、つまり約三十分後、綾姫と洋子姫は内大臣家を訪れた。
西の対の屋へ通されてまみえた一の姫は、ふっくりとしたほほのかわゆらしい、おとなしそうな姫だった。
口元の辺りに扇を当て、恥ずかしそうにうつむいている。
「突然の訪問、ご無礼かと存じましたが折り入ってのご相談の儀があり、失礼を承知で参りました。
私は右大臣が一の姫、綾と申します。こちらは、左大臣が一の姫、洋子姫様にございます」
綾姫が挨拶を述べると、一の姫は二人を交互に眺めた。
「豊と、申します・・・わたくしにご相談とは、一体、どのようなことでしょうか・・・」
不安がっているのか、消え入りそうな声でそう言うので、綾姫は安心させようと笑顔を向けた。
「豊姫様にとっても良いお話ですわ。
お父上から既にお聞き及びかもしれませんが、東宮妃がご出家なされて、変わる新しい東宮妃が必要となりましたの。
こちらの洋子姫様も候補として名前が挙がっていらっしゃいますが、事情があって東宮妃となることを望まれてはおりません。
それで、豊姫様に是非、東宮妃として後宮に上がっていただきたいと、こういう訳ですの。もちろん、お膳立てはこちらで致しますわ」
「・・・東宮妃。わたくしが・・・?」
豊姫には寝耳に水の話だったらしく、茫然と呟いた。と、にわかに青くなり、激しく首を振った。
「い・・・嫌です、わたくし・・・」
「なぜですの?東宮妃になれば、あなたの父君や兄君のためにもなりますのよ。
それに、兄から聞いた限りでは、東宮はとても良い方だそうですし、後宮は華やかで楽しいところだとも聞きます。
どうぞ是非、お考えになってみて下さいませ」
ところが、豊姫は予想もしていなかったことを言い出した。
「わたくし、想う方がいるのです」
綾姫も洋子姫も、しばらくの間ぽかんとして豊姫を見ていたが、洋子姫が先に我に返った。
「ど・・・どなたですの、まさか、浜晃さまでは?!」
どこからそうなるのか、あまりにも短絡的な考えだが、洋子姫は真剣だ。今にも押し倒さんばかりの勢いで、豊姫に詰め寄る。
「いかがですの、お答えになって!」
豊姫は何故か、洋子姫に詰め寄られてぽっとほほを赤らめた。
「やっぱり、そうですのね?!まあ、なんてこと!!」
綾姫はいきり立つ洋子姫を慌てて押し止めた。
「洋子姫、落ち着いて」
「これが落ち着いていられますか!綾姫さま、浜晃さまが二股をかけていらっしゃったやも知れませんのよ!!」
さすがの綾姫も、恋する女の迫力には負ける。
「どなたですか、それ」
緊迫した空気を破ったのは、豊姫の間の抜けた一言だった。
「は?」
「浜晃さまなどという方は、存じません。それにわたくし、片恋ですのよ」
「浜晃さまでは、ない・・・」
洋子姫はへなへなと座り込んだ。
「それではどうして先程、頬をお染めになりましたの?」
「そ、それは・・・」
豊姫は言葉に詰まってうつむいた。綾姫ははっとして飛びのく。
「ま・・・まさかあなた、洋子姫のこと?!」
「ええーーーっ?!」
洋子姫は真っ青になった。
しかし当の豊姫は意味さえよくつかめないらしく、洋子姫の異常な驚きぶりにぽかんとしている。綾姫は、洋子姫の脇をつついた。
「ちょっと洋子姫、違うみたいよ」
「お、驚かせないでくださいまし。心臓によくありませんわ」
「あの・・・」
豊姫がおずおずと声をかけた。
「あ、質問の途中でしたわね。それで、本当のところはいかがなんですの?」
「あの、わたくし・・・洋子姫さまがあの方に似ておいでなので、つい、どきどきして」
綾姫と洋子姫は顔を見合わせた。
「洋子姫と似てるって、それじゃ、まさか・・・」
「洋子姫さまの兄君の、右衛門佐さまですの」
「えええーーーっ?!」
綾姫と洋子姫は同時に叫んだ。
「豊姫、あれはやめた方がいいわ!」
「なぜですの?」
「そ、そもそもどこで私の兄上とお会いになる機会が・・・」
「一度、わたくしの兄に用事があっていらしたときに、直前になって兄の部屋でぼや騒ぎが起きたので、こちらの部屋をお貸ししましたの。
几帳越しに拝見いたしましたら、それは優しそうで、おきれいな方でしたわ」
豊姫は思い出すようにうっとりと視線をさまよわせた。
「見かけに惑わされてはだめよ!石洋はね、ぼーっとしてて頼りなくて、細やかな気配りというものの出来ない男なの。
決断力や積極性に欠けるし、いつまでもうじうじしてるような暗いやつよ。やめなさい。絶対、やめなさい!」
「まあ、石洋さまと申されますの?」
豊姫には一向に通じない。
「綾姫さま、いくらなんでもそれはひどすぎますわ」
洋子姫は兄をけなされて憮然としている。
「もーっ、わかってないわね、洋子姫!石洋のせいで計画はおじゃんよ、唯一の有力候補が東宮妃を拒否してるのよ!
兄様と洋子姫の前途は、お先真っ暗になっちゃったのよ!」
「えっ?!」
洋子姫は青くなった。
「で、でもそれでしたら私だって拒否すれば・・・」
「兄様が表立って動けないの、どうしてだと思ってるの。左大臣は競争心の強いはりきりやさんですもの、洋子姫が兄様とのことで東宮妃を拒否すれば、
うちの父様の差し金で、左大臣家の栄華を阻まんと先手を打って、洋子姫をたぶらかしたと思い込むに違いないわ。
そうして無念の悔しさもあいまって、兄様をいじめぬくに決まってるからじゃない!」
「そ、そんな・・・」
「それもこれもあれもどれも、みーんな石洋のせいよ!おのれ許すまじ石洋!!」
綾姫はいつもの猫かぶりも洋子姫のことも忘れて部屋を飛び出し、居眠りしていた牛と牛飼い童を叩き起こすと、怒りに任せて左大臣家へ牛車を走らせた。