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●2004.4.24 ○に様寄贈作品●

しっぽと猫耳とわたし

 Present Time

「あ、あの・・・」
ルイーゼは口をぽかんと開け、目を丸くして、ノルディスに抱かれている小さな生き物を見つめた。


■挿絵:綾姫■

「ル、ルイーゼさん!?」
思わぬ来訪者に工房の主エリーはあわてて割って入り、ルイーゼの視界をさえぎろうとしたが、彼女とノルディスの間の距離は一歩ほどのものでしかない。いかに強度の近視のルイーゼでも、はっきりと見分けることができる。
ノルディスは、その柔らかな生き物をかばうように、腕にぎゅっと力をこめた。
しかし、緑色の妖精の服を身に着けた小さな姿は、栗色の髪からぴんと立った猫耳をぴくぴく動かし、きょとんとしたエメラルド色の瞳でルイーゼを見つめる。
「にゃ?」
口元からかわいらしい声をもらし、小首をかしげる。少し大きめの妖精の服の下から伸びたしっぽが左右に揺れる。
「え、ええと、ルイーゼさん、これは、あの・・・」
エリーがしどろもどろになってごまかそうとするが、思うように言葉が出て来ない。
やがて、ルイーゼははっとしたように目を見張り、猫耳としっぽを生やした幼い少女をおずおずと指さす。
「もしかして、アイゼルさん・・・?」
ごまかしようがなくなったエリーとノルディスは目を見交わすと、諦めたようにうなずく。ここまでしっかりと目撃されてしまった以上、仕方がない。後は、なんとかしてルイーゼに口止めをし、他の人たちに漏れないようにするだけだ。
だが、ルイーゼの口からは意外な言葉が出てきた。
「もしかして・・・。地下の実験室で?」
「ええっ?」
「どうして知ってるんですか?」
エリーとノルディスが驚いて聞き返す。
まるでおとぎ話の中から抜け出てきたかのような幼い少女の姿を見つめていたルイーゼの表情がくもり、今にも泣きそうな顔に変わった。
「どうしましょう・・・。きっと、あたしのせいだわ・・・」


 The Day Before

その朝も、いつもと変わらずルイーゼはショップの開店準備を進めていた。
「はあ・・・」
棚に並んだ様々なアイテムの在庫を確認し、整理しながら小さくため息をつく。
先輩のアウラの後を引き継いでアカデミーのショップ店員になってから数年が経つが、未だに自分がこの仕事に向いているのか自信が持てない。確かにショップは繁盛しているが、おつりを間違えて渡してしまったり、注文と異なるアイテムを売ってしまったりというミスがなくならない。もっとも、失敗してもあまり尾を引く性格ではないので、そのことで深刻に思いつめてしまうということはなかったが、失敗から学んで向上するということもあまり望めないのだった。
でも、暇な時間はカウンター内で好きな本が自由に読めるし、錬金術ともつながりを保っていられる。実験が苦手だったせいでアカデミーを卒業するまで2年も留年してしまったルイーゼだが、決して錬金術を嫌いになったわけではない。今でも錬金術の新たな知識を求める意欲は旺盛だ。その意味では、ショップ店員はルイーゼにとって天職とも言えた。
あと半刻もすれば、寮棟から起き出してきた生徒たちがロビーにあふれ、ショップはその日最初のかき入れ時を迎える。
手元の帳簿に目を落とし、最後のチェックをしようとした時、ひたひたと足音が近づいて来た。
「ふふふふふ、相変わらず暇そうだね」
「ヘルミーナ・・・先生・・・?」
身を乗り出すようにカウンター越しに覗き込んだヘルミーナは、左右の色が異なるケントニス人独特の瞳を妖しく光らせ、口元に意味ありげな笑みを浮かべている。
「あの・・・。何かご用ですか?」
いくぶん緊張して、ルイーゼは尋ねた。イングリドと並んでザールブルグ・アカデミーの筆頭講師であるヘルミーナがショップに現れることなど、めったにあることではない。面倒見がよく、ショップで売られている参考書や調合道具にも気を配ってくれるイングリドと異なり、ヘルミーナは講義の時間以外は地下の実験室に閉じこもって、何やら怪しげな実験をしているのが常だからだ。
「用がなけりゃ、わざわざ朝早くからこんなところに来やしないよ。ふふふ」
言葉はきついが、ヘルミーナの機嫌は悪くはないようだ。いわくありげな笑みを絶やさず、腕組みをしてルイーゼを見つめる。もっとも、ヘルミーナ教室に属するアイゼルなどに言わせると「ヘルミーナ先生のあの笑みを見るとぞっとするわ」となるのだが。
「ちょっと、お願いがあるのだけどね、ふふふ」
「はあ・・・。お願い・・・ですか?」
きょとんとしてルイーゼが聞き返す。
「そうだよ。ちょいと、あたしが今やっている実験の助手をやってほしいんだ」
「助手・・・ですか? あたしが?」
ルイーゼはさらにあっけにとられる。アカデミー生時代の自分がとろくてのんびり屋だったために実験の点数が最低だったことは、ヘルミーナも知っているはずなのだが。
「そうさ、何度も言わせないでおくれよ。あんたにしかできないことなんだ」
「でも・・・」
不安げに顔をくもらせるルイーゼを威圧するように、ヘルミーナはずいと顔を突き出す。
「ちゃんとドルニエ校長にも許可は得てる。それに、手伝ってくれたら、あたしの秘蔵の蔵書を読ませてあげるよ、ふふふ」
耳元に口を寄せると、ヘルミーナは何冊かの書物の名前をささやいた。
ルイーゼははっと顔を上げ、やがてうっとりとした表情を浮かべる。
「本当に、読ませていただけるんですか?」
「もちろんさ。それじゃ、明日の朝一番に、あたしの実験室に来ておくれ」
「はい・・・」
これまで名前だけしか知らなかった幻の錬金術書を読めると聞いて夢心地のルイーゼを残し、用は済んだとばかりにヘルミーナはすたすたと研究棟へと消えていった。


昼休みが終わり、ロビーにあふれていた生徒たちは潮が引くように消えていく。午後の補習に出る者、図書室へこもって調べものに励む者、寮の自室へ戻って研究を続ける者、講師のところへ質問攻めに行く者など、様々だ。
あたふたとした時間帯を大した失敗もなく過ごし、ほっとしたルイーゼは、読みかけの本に戻ろうとする。
その時、正面玄関からオレンジ色の錬金術服を着た小柄な姿が飛び込んできた。
「ルイーゼさん、こんにちは!」
「あ、エルフィールさん、いらっしゃい」
いつも元気なエリーは、息をはずませてショップにたどり着くと、さっそく買い物リストを読み上げ始める。
「ええと、今日は『星のかけら』を10個と『祝福のワイン』を5本、『国宝虫の糸』を5束、あと『塩』を3袋ください!」
「はい」
エリーのてきぱきした口調とは対照的に、ルイーゼはのんびりした動きで背後の戸棚を探し、注文のアイテムを揃えて行く。その手が、はたと止まった。
振り返ったルイーゼは、すまなそうにエリーを見る。
「ごめんなさい。今、『塩』が在庫切れだわ。明日にはカスターニェからの荷馬車で届くはずなんですけど・・・」
「そうですか。困ったなあ・・・。でも、仕方ないですよね!」
一瞬、顔をくもらせたエリーだが、すぐににっこり笑う。この辺の切り替えの早さはさすがである。
「お昼ごろには届くと思いますから、ちゃんとエルフィールさんの分は確保しておきますね」
「はい、ありがとうございます。あ、でも、明日は午前中しかアカデミーに来られないなあ」
「大丈夫ですよ。入荷し次第、工房までお届けしますから」
ルイーゼはにっこり笑った。
「え、いいんですか?」
「はい、大切なお得意様ですから」
確かに、エリーはここ1年、ショップの売り上げナンバーワンの大口顧客なのだ。
「それじゃ、お願いします。よいしょっと・・・きゃっ」
大きな袋を抱え上げようとしたエリーが、小さな悲鳴を上げる。
足元を、なにかがよぎったのだ。
すぐにパタン、と音がして、ルイーゼの膝に柔らかな毛皮におおわれた小さな影が飛びついた。カウンターの下に設けられている小さな扉から入り込んだのだ。
「にゃ〜」
「あらあら、アウラったら、いたずらっ子さんね」
地味な灰褐色の毛におおわれた子猫を抱き上げると、ルイーゼは三角形の耳がぴんと立った頭をなでた。
子猫は目を細め、身体に比べると長めのしっぽを揺すると、ルイーゼの豊かな胸に顔をすりつけた。
「ルイーゼさん、その子・・・」
「そうなの。この間、ヒメルが生んだ子猫よ」
エリーの問いに、ルイーゼが微笑んで答える。
先代の店員アウラの時代に、アカデミーのショップに一匹の黒猫が住みついた。当時、世間を騒がせていた怪盗デア・ヒメルにあやかって“ヒメル”と名付けられたその猫は、すくすくと成長し、今ではアカデミー周辺の野良猫の間でも幅を利かせている。毎年、何匹もの子猫を産み落としているが、今年に生まれた中でもっとも小さく、人なつっこいのが、今ルイーゼが抱いている“アウラ”だ。
もちろん、資産家に嫁いで退職したアウラが、自分の名前が子猫につけられていると知ったらいい顔はしないかも知れないが、名付け親のルイーゼはそこまで深く考えてはいない。
「わあ、かわいいですね」
「にゃあ」
「本当ね。でも、この子のせいで本が毛だらけになっちゃって」
「いいじゃないですか、それくらい」
ルイーゼは、くすぐるように子猫の耳をなでる。アウラは耳をぺたんとたたみ、すっかりリラックスした様子でルイーゼに身体を預けた。ルイーゼは優しい目を向けて、言葉を続ける。
「それに、元気が良くって困ってしまうわ。あたしがどこかへ行こうとすると、すぐにくっついて来るのよ」
そうは言っているが、本人はまったく困っている様子はない。
「あはは、ルイーゼさん、なつかれてるんですね」
エリーが立ち去ると、ルイーゼは腰を下ろし、本を開く。子猫のアウラはルイーゼに倣うように書物を覗き込んでいたが、やがて脇に丸くなって寝入ってしまった。


「ああ、もう! この忙しい時に、何なのかしら!」
アイゼルはぶつぶつひとりごとを言いながら、足早に寮棟を出た。
つかつかとロビーを斜めに横切り、研究棟の入口に向かう。
「ほんとにヘルミーナ先生ったら、ひとの都合もおかまいなく呼びつけるんだから!」
人気のない廊下をまっすぐに進むと、地下へつながる石造りの階段を下りる。勢い余ってよろけそうになり、小脇に抱えた参考書とノートをあわてて持ち直した。
「まったく・・・。今度は何だっていうのかしら」
栗色の髪をいらだたしげにかき上げ、薄暗い廊下を進む。
重要な調合の下準備をしていたところを急に呼び出されたせいで、アイゼルはとげとげしい気分になっていた。何日もかけて材料を集め、後はエリーに調合を頼んでおいた『星の砂』さえ手に入れば実験が開始できる状態になっている。そこへ、この呼び出しだ。ヘルミーナは生徒の自主性を何だと思っているのだろう。とはいえ、正面切って文句も言う度胸もアイゼルにはない。
この先の地下実験室は講師専用で、アカデミー生徒が無許可で立ち入ることは許されていない。だが、アイゼルは師匠のヘルミーナに妙に気に入られているようで、怪しげなオリジナルアイテムの感想を聞かれたり実験の助手を命じられたりすることが多く、自分の意に反してここを訪れることはたびたびだった。
頑丈な石造りの壁には、いくつかのドアが並び、その先にはアカデミーの裏庭に抜ける狭い階段に通じる扉がある。いちばん奥のドアが、ヘルミーナの実験室だ。
ドアの前で立ち止まると、髪を整え、礼儀正しくノックをする。
しばらく待ったが、返事はない。
「ヘルミーナ先生? アイゼルです。お呼びですか?」
再び、先ほどよりも強めにノックし、耳を澄ませる。だが、相変わらず誰も出てくる気配はない。
師匠は実験に集中していて、ノックに気付かないのかも知れない。
そっとドアを押してみる。鍵はかかっていない。
「失礼します」
アイゼルは慎重に足を踏み入れた。過去に、ここでは何度も危ない目に遭っている。怪しい気体を吸い込んで半日眠っていたこともあったし、いきなり何匹ものヘビに巻きつかれて気絶したこともあった。もっとも、そのヘビはヘルミーナの薬で呼び起こされた幻影だったのだが。
「ヘルミーナ・・・先生?」
さして広くない実験室を見回すが、師の姿はない。
正面には調合用の大釜と作業台が並び、台の上には毒々しい色の液体が入ったガラスびんや試験管、天秤、遠心分離機など、調合用の道具が整然と置かれている。左側の壁は床から天井まで書物に埋めつくされ、反対側の壁に作りつけられた戸棚には、正体のよくわからない薬品や用途不明の奇怪な道具が並んでいる。
アイゼルは眉をひそめた。
先ほど部屋を訪ねてきた一年生は、確かに怯えた様子でアイゼルに師の言葉を伝えたのだ。
「ヘルミーナ先生がお呼びです。大至急、実験室に来るように――って」
再び室内を見回したアイゼルは、首をかしげて考え込む。
「どうしたのかしら? 呼びつけておいて、いなくなるなんて」
その時、天井から、何やら重たいものがずるずると滑るような音が響いてきた。
「え?」
音に気付いたアイゼルが顔を上げる。そのエメラルド色の目が、大きく見開かれた。
「何よ、あれ・・・?」
海にいるクラゲのようなぬめぬめした半透明のかたまりが、石の天井を這いずっている。そして、次の瞬間、アイゼルを見つけたかのように、そのどろどろした大人の頭ほどの大きさの物質のかたまりは、ぶるんと震えたかと思うと、アイゼルの頭めがけて落ちてきた。
「きゃああっ!!」
アイゼルは腰から砕けるように、床へ倒れ込んだ。ぬるぬるしたアメーバのような物質は、にかわのようにアイゼルの栗色の髪を包み込んでいく。
「いやあ! 誰かーーっ!!」
アイゼルは両足をばたつかせ、もがいた。気持ちが悪くて、髪にまとわりつく物体に手を触れる気にはなれない。
「動かないで!」
ドアの方から鋭い声が飛び、アイゼルは思わず身をすくめるようにもがくのをやめた。
鈍い爆発音がアイゼルの頭のすぐそばで響き、ぞくりとするような冷気がたちこめる。
アイゼルは何が起こったのかもわからず、そのまま身を縮めていた。
誰かが近づき、傍らにかがみこむのを感じる。髪に手がかかり、貼りついていた不気味な物体が取り去られる。物体と一緒に髪の毛が何本か抜けた痛みのほかは、特に異常は感じない。
「立っても大丈夫だよ、アイゼル。ふふふふ」
「ヘルミーナ先生・・・」
作業台に手をかけてよろよろと立ち上がると、アイゼルはおそるおそる自分の頭に触れる。氷で冷やしたように冷たくなっているだけだ。先ほど爆発したのは、師匠が投げた小型の冷却爆弾『レヘルン』だったのだと気付く。
「悪かったねえ。あなたを脅かすつもりじゃなかったのだけれどね、ふふふふ」
ヘルミーナは口元に笑みを浮かべ、右手でつかんだ半透明のかたまりをながめる。『レヘルン』の効果で凍り付いてしまったのか、ぴくりとも動かない。
「な・・・何だったんですか、それ」
いまだショックから回復しないアイゼルは、師を怒ることもできず、ただあっけにとられて尋ねた。
「ああ、ちょっとした気まぐれで、接着剤に生命を付与してみたのだけれど、少し目を離した隙に逃亡してしまってね。探しに行っていたところなのよ。まさか、天井に逃げて貼りついていたとはね、ふふふ」 ヘルミーナはそのまま作業台の端に置かれた大きな筒型のガラス容器のふたを開けると、凍りついた『生きてる接着剤』を投げ入れた。容器にはスープのように濁った液体が3分の2ほど満たされている。
「こいつは失敗作だったね」
そして、くしゃくしゃになった髪を整えているアイゼルに向き直る。
「ところで、アイゼル。あたしに何か用かい?」
「へ?」
アイゼルはきょとんとしてヘルミーナを見た。
「わたしは、ヘルミーナ先生がお呼びだとうかがったので、来たのですけど」
今度はヘルミーナがいぶかしげな表情を浮かべる。
「そうだったかねえ。呼んだのかも知れないけれど、忙しかったから忘れてしまったよ。悪いね、今はあなたに頼む用事はないわ」
「はあ・・・」
文句を言うこともできず、アイゼルは床に転がった参考書を拾い上げると、毒気を抜かれたように実験室を出ていく。
その後姿を見送り、ヘルミーナは聞こえないようにつぶやいた。
「本当は、もう用事は済んだのだけどね、ふふふ」
ふと床に目を落とす。隅に見慣れないノートが落ちていた。
拾い上げて見ると、アイゼルの名前が書いてある。床に倒れた拍子に投げ出されたのだろう。
しかも、それはアイゼルの日記のようだ。錬金術の研究ノートと間違えて、持ってきてしまったのかも知れない。
廊下に顔を突き出して覗いてみたが、アイゼルは既に階上へ去っていた。
「まあ、いいか。気がつけば、取りに来るだろうしね、ふふふ」
イングリドの日記ならば興味しんしんで読みふけったかもしれないが、弟子のプライバシーなどに興味はない。
作業台の端にアイゼルの日記を置き、ガラスの容器に向き直ると、ヘルミーナは実験の準備を進めた。

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