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二、揺らぎの合図


「兄さま兄さま、きなこもちは?」
朝姫は、隆幸が戻っているのを聞きつけ、おみやげを請求しに隆幸の部屋を訪れた。
が、当の隆幸は上の空で、返ってくるのは生返事ばかり。
「き・な・こ・も・ち!!」
耳元で叫ぶと、やっとのことできなこもちの包みを持って来た。が、朝姫の前に座って包みを開け、何をするかと思えばもちを食べ出す。
「兄さまっ!それあたしのでしょ?!」
「ん?・・・ああ」
「ああ、じゃないわよ、もう!」
朝姫はぷりぷりしながら包みを奪った。
「どうしちゃったのよ、兄さま。何かあったの?」
隆幸は顔を上げ、早速きなこで口を汚している朝姫を眺めた。
「何?」
くるりと背を向けたかと思えば、背中を朝姫にもたせかける。
「・・・違うなあ」
「ちょっと、きなこもちがつぶれるじゃない!」
朝姫は隆幸を押し戻した。
「兄さま、変。すごく変。大体、何が違うのよ」
「朝も、女の子なのにな」
「・・・・・も?」
朝姫の右眉がゆっくりと上がった。いぶかしげに隆幸の顔をのぞきこむ。
「ってことは、誰か別の女の子とあたしが違うっていうのね?」
途端にうろたえた隆幸を見て、朝姫は薄い笑みを浮かべた。
「そういうこと。なーんだ、そっかー」
「な、何だよ」
「母さまに言ってこよーっと!」
「うわ、ちょっと待て、朝!!」
慌てて伸ばした隆幸の手はむなしく空を掴み、朝姫の姿は飛び跳ねるように掻き消えた。


「ああ・・・参ったなあ」
隆幸は仰向けに寝転がってため息をついた。
綾姫と朝姫の組み合わせに、隆幸ごときが抗えるはずもない。
あの後、押しかけてきた二人は市での一部始終を聞き出し、それは恋だ、夕姫なら添い臥しにぴったりじゃないか、いいぞ行け行け頑張っちゃえ、と無責任に盛り上げた挙句、自分でどうにかしろとたきつけて帰って行った。

確かに、あの姫を思い出すと胸が高鳴る。やわらかな感触の記憶に顔が熱くなる。添い臥しに、と言われても、嫌だとは思わない。むしろ・・・。
・・・こんなに簡単なものなのだろうか。
あの姫に、心を奪われてしまったのだろうか。

添い臥しとは、東宮の元服の夜、添い寝する役目のことである。良家の姫が務め、そのまま東宮妃になることが多い。
隆幸は数えで十五歳。もう、元服には遅すぎるくらいの年齢である。

元服が遅れている理由は、主にその添い臥しの君選考にあった。
あまたの候補が火花を散らしている上、隆幸の父、隆宗の前例もある。
親たちの都合のみで寄り添わせた結果、東宮妃が想い人の死に絶望して髪を下ろすという、前代未聞の事件を招いた。東宮時代に続き、己の世となってまで同じことを繰り返せば、都の安泰を揺るがしかねない。
又、隆宗はまだよくわからないまま東宮妃を迎え、しかるべき愛情を注ぐことも、心の闇に気づくこともできなかった自分を後悔していた。隆宗も綾姫も、できることなら隆幸自身に、己の心にかなう姫を選ばせたいと考え、隆幸の成熟を待って時期を遅らせていた。

隆幸も、そのことは充分に承知である。両親の思いに応えたいと思う。
だが、隆幸にはまだ確信がなかった。
誰かを慕わしく思えば、それは恋なのか。そうとは言えない気がする。では、何が違うのか。
答えを見つけることができるまで、もうしばらく、自分の気持ちを見つめていたかった。


「夕。どうしたの、ぼんやりして」
「お母様・・・」
夕姫は顔を上げ、隣に寄り添った母に頭をもたせかけた。
「ちょっと・・・気にかかることがあって」
「気にかかること?何かしら」
洋子姫は娘の髪を手ですきながら、優しく尋ねる。夕姫はふっと物憂げなため息をついた。
「昼間、市で会った方のこと。親身になってくださったのに、ろくなお礼ができなくて・・もっときちんとお住まいについて尋ねればよかった」
「それは残念なことだけれど、今お父様にも申し上げて探していただいていますからね」
「でも・・・」
夕姫は泣きそうな顔で洋子姫を見上げた。
「わたし、嫌われてしまったのかもしれないわ」
「まあ、どうして?」
「きっと、お礼の仕方が悪かったの」
「お礼の仕方・・・?何をしたの?」
「こうしたの」
夕姫は昼間の行動を再現し、唇を頬に当てられた洋子姫は目を丸くした。
「まあ」
「やっぱり・・・いけなかった?お父様はとても喜んでくださるのに、隆さんは黙ってて、笑ってもくれなかった。真国にはどうしてあんなことをしたのだと言って叱られたわ。わたし、いけないことをしたの?」
洋子姫はぷっと吹き出した。
「そんなことはないわ。でも、注意は必要ね。誰にでも気軽にすることではないわ。特に殿方には」
「そうなの?わたし、知らなくて・・・じゃあ、隆さんには迷惑だったのね」
夕姫は目に涙を溜め、しょんぼりと肩を落とした。それを見た洋子姫は、慌てて夕姫の頬を撫ぜる。
「あらあら、大丈夫よ。これは、特別に好きという合図ですもの」
「だったら尚更、迷惑でなければ喜ぶはずではないの?」
「きっと、びっくりして、恥ずかしかっただけなのだと思うわ」
「そうかしら・・・」
夕姫は今ひとつ納得がいかなかった。母は、自分を慰めようとして、適当なことを言っているのではないか。
「心配しなくていいわよ。今日は疲れたでしょう、早くおやすみなさい」
洋子姫は夕姫をなだめながら、内心苦笑していた。
恋文も舞い込みはじめ、そろそろ裳着を迎えるというのに、この子はまだ、異性への胸の高鳴りさえ理解していない。
それにしても、その隆という童が所在を明かさずにいてくれて良かった。下々のものではないらしいが、供も連れずに一人歩きしていたとなると、夕姫とは身分違いの下級貴族の子か何かだろう。
もう少し、身辺に気をつけてあげなければ。この先、この子が良い縁を結ぶことができるように。

夕姫は床についてからも、じっと今日の出来事について思いを巡らせていた。
特別に好き?そうよ、好きだわ。隆さんは優しいし、とても親切にしていただいたもの。奈津と同列でも良いくらいよ。奈津はずっと前から親切にしてくれるし大好きだけれど、あんなに苦労して親身になってくれたことはないもの。
でも、あのときの顔を思い浮かべると嫌な気分になる。わたし、もしかして怒っているのかしら?隆さんに喜んでもらえなくて、拗ねているのかしら?
お母様は、隆さんが喜ばなかったのはわたしを嫌いだからではなくて、びっくりしただけだとおっしゃったけれど・・・
わからないわ。あの合図、そんなにびっくりするものかしら?
わたしなら、きっと嬉しくなるわ。幸せな気分になって、ありがとうって言う。お父様みたいに。
隆さんがおかしいのよ。わたしが隆さんだったら・・・。

思い巡らす中で自分と隆の位置を逆にした夕姫は、ふと、何やら落ち着かない気分に襲われた。
しかし、それを疑問に思う間もなく、そのかすかな胸のざわつきは、睡魔の中に掻き消えた。


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