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四、膳


隆幸の元に、「ごきげん伺い」と称し、三人の公達が訪れた。
大納言浜晃、左大将石洋、権中納言西豊。若くして重んじられる、錚々(そうそう)たる面々である。
浜晃と石洋は幼馴染、西豊は荒れていた時期に救われた恩義があるとかで、この三人は異なる勢力の中にいながらも仲が良く、こうして揃って隆幸の元を訪れるのも珍しいことではない。彼らからは、人生の先輩として教わることも多く、隆幸にとっては、訪問の楽しみな顔ぶれだった。
だがしかし、今回ばかりは緊張していた。浜晃は、あの夕姫の父親なのだ。

当の浜晃はくつろいだ様子で、ひとしきりの挨拶後、傍らの西豊に話をふった。
「西豊の従弟どのは今度、御元服なさると伺ったが」
「はい、もう日取りも決まったようです。もしかすると、石洋どのの部下になるやもしれません。その際はよろしく。何しろ、生意気な奴でして・・・」
西豊に頭を下げられた石洋は、整った顔を優雅にほころばせた。夕姫の母親は、この人の妹である。そのせいか、面差しがどことなく夕姫と似ていた。
「確か、真国とおっしゃいましたか。内大臣家の子息ともなれば、華やかな式になるでしょうね」
隆幸は、聞き覚えのある名前に眉をひそめた。真国・・・真国というと確か・・・
「あっ」
思わず声を上げた隆幸を、三人が一斉に振り向いた。
「いかがなされましたか?」
隆幸は慌てて咳払いをした。
「いや、なんでもない」
・・・思い出した。真国というのは、あの日市で夕姫を連れて行った、いけすかない童の名前だ。内大臣家の子息だったのか・・・道理で威張っているはずだ。
「そういえば、夕姫もそろそろ裳着では?」
隆幸は落ち着けたばかりの息をのんだ。浜晃は、問い掛けた西豊に向け、鷹揚に笑った。
「いやいや、あれはまだ子供です」
「そう思うのは親ばかりかもしれませんよ。うちの由奈も親から見ればまだ子供ですが、既に人の妻ですからね」
「そうそう。うかうか油断していると、とんでもない男にとられてしまうかもしれない。自分が洋子と通じた年齢を忘れてはいけないよ」
「おっと。それは、わたしがとんでもない男ということかな?」
三人は朗らかに笑っているが、隆幸はそれどころではない。そこへ西豊が、さらにそれどころではないことを言い出した。
「皆さん、一番大事な人を忘れていますよ。ここにおられる東宮も、そろそろ御元服ではないですか」
「おお、そうでした。しかし、東宮の御元服には添い臥しが必須・・・浜晃、これはいよいよ、夕姫の裳着を急いだ方が良いのでは?」
石洋が冗談まじりに浜晃をからかう。隆幸は息をとめ、喘ぎたくなるのを必死にこらえた。
当人の浜晃は、
「東宮の意向を無視して押し付ける訳には参りませんし」
と笑いながら答え、
「それに、大事な一人娘に、尼になられては困りますからね。軽々しく事を運ぶわけには」
親としての本音ものぞかせる。
「ああ、そういえば、今上帝の添い臥しの君は、尼に・・・」
「そう。そのとき洋子に東宮妃の話が持ち上がって、これまた大騒ぎしたのだよ。・・・確かに、当時の左大臣家にとっては、わたしはとんでもない男だったね」
「その通りです」
石洋も、浜晃のはじめた思い出話を興がった。
「東宮妃の栄華は右大臣家に奪われ、わたしは綾姫に失恋をして」
「それは関係ないだろう。お前の器量が不足していただけだ」
「何を」
二人とも、口では言い合いながら顔で笑っている。
自分からは話題が外れつつあることにほっとしながら、隆幸は言葉を継いだ。
「わたしも、当時の話は母上から聞きました。本人の意思を尊重することの大切さについて、考えさせられました」
三人は、隆幸の言葉に頷いた。
「東宮は思いやり深い帝におなりでしょうね」
「我々も心強いことです」
そこでふと、西豊が首を傾げた。
「・・・ですが、尊重すべき意思を知る機会がないのではないでしょうか」
「どういうことです?」
「つまり。東宮は同じ年頃の姫について、知る機会が少ないということですよ」
「なるほど」
石洋はぽん、と膝を打つ。
「そろそろ、花のつぼみもほころぶ季節。宴など、催してはいかがでしょう」
それを聞いて、西豊も身を乗り出した。
「それは良い。年頃の娘たちに合奏などさせて」
「えっ・・・」
ようするに、花嫁候補を並べて宴を催そうというわけである。
「そ、そのような・・・」
「それとも、もう心に決めた方がおいでかな?」
ままま、まさか!!
隆幸は思わず真っ赤になって首を振った。
「ははは。東宮は純情でいらっしゃる」
「浜晃も娘を持つ親として、異論はないだろう」
「勿論。わたしから今上に進言することにしよう」
自分で動かずとも向こうからお膳立てをされるこの境遇。これでいいのだろうかと、隆幸はいささか腑に落ちないものを感じていたが、夕姫にもう一度会う機会が嬉しくないはずもなく、あっというまに宴の話はまとまってしまった。


「お父様、お帰りなさい」
にっこりと迎える夕姫を見て、浜晃はできることなら手放したくないものだと考えた。
普通に貴族の公達を婿にする場合、女性の実家に通う通い婚が常である。結婚しても、離れて暮らす必要はない。しかし、東宮妃となると別である。実家を出て、後宮にあがらねばならない。その淋しさは、妹である綾姫を送り出したときに経験済みだが、自分の娘となれば、淋しさも一層のものであろう。
だからといって、実質東宮妃選びとなる宴に行かせるのを渋ろうとは思わない。
若くして大納言の地位を得た浜晃に、それ以上の栄華を望む野望はなかった。それでも、夕姫が妃がねとして最高の姫だという自負はある。ようするに、娘自慢をしたいただの親ばかである。
「夕。今度、宮中で花見の宴が催されるのだが、夕と同じ年頃の姫たちで楽を合わせる話がある。お前も筝の琴を練習しておきなさい」
「まあ」
夕姫はぱっと顔を輝かせた。
「宮中でということは、内親王様もご出席なさるのよね?嬉しい。わたし、一度お会いしてみたかったの。ときたま文をいただくのだけれど、とても楽しそうな方なんですもの」
「朝内親王か。そうだね、楽しい御方だ」
浜晃も、つられて顔がほころぶ。
「ところで、夕・・・」
「なあに、お父様」
「一応、確かめておきたいのだが。お前、その・・・誰ぞ、好きな男性は、いるのか」
「おりましてよ」
躊躇なく答える夕姫に、浜晃は目をむいた。
「一体、それは」
「まず、お父様でしょう。お祖父様に、石洋のおじさまに・・・」
浜晃は拍子抜けしながら手を振った。
「いや、そういうことではない。わたしが言ったのは、結婚したいと思う相手だ」
夕姫はかすかに眉根を寄せた。
「お父様まで、そういうことを言い出すの。わたし、まだそんな・・・周りばかりが騒いで、困ってしまうわ」
その夕姫の様子に、やはりまだ子供であったと、浜晃は胸をなでおろした。


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